80年代女性アイドル・シンガーソングライター
輝いていた80年代の音楽
その前に、80年代以前を少し振り返ってみようと思う。キャンディーズが1978年に引退、山口百恵さんが1980年に引退、ピンクレディーが1981年に引退と、それまでのトップアイドル達がほぼ1980年に引退というカタチになっている。そして1980年に松田聖子さんがデビューするわけだが、世代交代というにはみなさん若すぎるのだが、明らかに新しい時代へと突入した感じがあった。その後、1982年デビュー組の『花の82年組』の中森明菜さんらの面々が活躍しだしたのは周知の事実だろう。1985年のプラザ合意以降の好景気かつバブル期への突入とともに、南野陽子さん(84年)工藤静香さん(84年)中山美穂さん(85年)浅香唯さん(85年)がデビューし『アイドル四天王』と呼ばれ、人気が急上昇していったのだ(ちなみに南野陽子さんのシングルデビューは85年、工藤静香さんのソロデビューは87年)。衣装や制作費なども潤沢に費やされていたと思う。
70年代に活躍したアイドル達の引退や経済状況の活性化などの背景が、80年代アイドル達の活躍の下地になっているのは間違いないと思うのだ。もちろん、本人たちの努力と素質があってこそのことだと思う。
そうした諸々の要因が幾重にも重なり『80年代はアイドルの豊作の年代である』と言っていいと思うのだ。松田聖子さんをはじめ、花の82年組やアイドル四天王など女性アイドルが大活躍していた。中でも特筆すべきは、作詞作曲が職業作家さんだけではなく、当時の新進気鋭のシンガーソングライターのみなさんによって書かれたことだと思う。結構チャレンジングな時代であり、この年代以降シンガーソングライターの本格的な台頭が始まったといってもいいのではないだろうか。すべてのシンガーソングライターを紹介することは困難なので、女性アイドルへの楽曲提供という視点にスポットを当てて書いてみたい。以下、敬称略の箇所はご容赦願いたい。
●中島みゆき
「わかれうたPR」「悪女」「時代」「糸」「地上の星」といった数多くの代表作のあるシンガーソングライター。「3年B組金八先生第2シリーズ」のあの名シーンを思い出す。荒谷二中のツッパリや加藤優、松浦悟らが警察に手錠をかけられ護送車に連行されるシーンだ。このシーンをスローで流しつつ台詞は一切聞こえて来ず、みゆきさんの「世情」だけがフルコーラス流れていて非常に印象的だ。では、みゆきさんが提供したアイドルは誰?と聞かれたら、私は、いわゆる アイドル四天王の一人の工藤静香さんと答えるだろう。彼女への提供楽曲は数多く、シングルでは「FU-JI-TSU」「MUGON・ん・・・色っぽい」「黄砂に吹かれてPR」 が代表的だ。すべて作詞のみの提供であるが、詞の世界観を上手に昇華させながら高い歌唱力で見事な作品に仕上げている。おニャン子クラブ出身で『うしろ髪ひかれ隊』時代からその歌唱力は抜きんでてたと思う。ソロになってからも後藤次利さんの作曲がほとんどだ。
●玉置浩二
「恋の予感」「悲しみにさよならPR」など数多くのヒット作を生み出しているバンド「安全地帯」のボーカリストでありシンガーソングライター。安全地帯が井上陽水さんのバックバンドを努めていたことはあまりにも有名。ソロになってからも「田園」など良い曲をたくさん残している。玉置さんが提供したアイドルと聞かれて咄嗟に思い浮かぶのは、私的には 斉藤由貴さん。ドラマ「スケバン刑事PART1」の主演を務めた。シングルでは、「白い炎」「悲しみよこんにちはPR」が代表作だ。とりわけ「悲しみよこんにちは」は、彼女が紅白歌合戦の初司会をした際に歌っていたのが印象的。今では女優としても活躍している彼女だが、歌唱力も高音域を綺麗に歌いこなしていた。また、中森明菜さんの「サザン・ウインド」も玉置さんの作品で秀逸。
●竹内まりや
「純愛ラプソディ」「シングル・アゲインPR」ほか数えきれないヒット曲を生み出し続けているシンガーソングライター。デビュー初期は自分以外の作詞作曲の楽曲だったと思うが、途中からは作詞作曲を自分で行い、夫の山下達郎さんの洒脱なアレンジで聴衆を魅了し続けている。まりやさんの提供楽曲は数が多い。いろんなジャンルのシンガーに提供している。80年代アイドルというくくりでは、私としては いわゆるアイドル四天王の一人の中山美穂さん。シングルでは「色・ホワイトブレンドPR」 が私のお気に入り。化粧品のCMソングだった。また多彩な作曲陣の楽曲が多いのも美穂さんの特徴。そして中森明菜さんの「駅」、河合奈保子さんの「けんかをやめて」、薬師丸ひろ子さんの「元気を出して」も名作だ。すべてセルフカバーしているのだが、こちらも素晴らしい出来なのは言うまでもない。
●来生たかお
「Goodbye DayPR」「夢の途中」などのヒット曲で知られるシンガーソングライター。お姉さんの来生えつこさんの作詞とセットというイメージ。静かなバラードを作曲するというイメージだが、もちろんそれだけではない。音楽番組「ミュージックフェア」で三浦友和さんと二人でギターを弾きながら共演していたのが印象に残っている。来生さんも数多くのアイドルに提供している。パッと思いつくのは、薬師丸ひろ子さんの「セーラー服と機関銃」。映画も印象的だった。ただ私個人的には、 いわゆるアイドル四天王の一人の南野陽子さん。「スケバン刑事PAR2」の主演でそのテーマ曲で映画のエンデイングでも流れていた「楽園のDoorPR」。 初めて買ったアルバムレコードが南野さんだったから思い入れが深い。名曲。どこか上品さを感じさせる雰囲気と歌唱は青春時代の私の心を鷲掴みにした。また中森明菜さんのイメージも強くある。「スローモーション」「セカンドラブ」「トワイライト-夕暮れ便り-」などのシングル曲を手掛けているから『彼女のイメージ』という人も多いだろう。
●タケカワユキヒデ
「銀河鉄道999PR」「ガンダーラ」「ビューティフル・ネーム」などのヒット曲を出したバンド「ゴダイゴ」のボーカルでシンガーソングライター。この「ビューティフル・ネーム」は1979年の国際児童年のテーマ曲だったと思う。歌詞がなかなか素晴らしくて、みんなの心に響いたのではないだろうか。すぐに思いつくのは、いわゆる アイドル四天王の一人の浅香唯さん。「スケバン刑事PAR3」の主演も務め、そのテーマ曲でもあり実質トップテンに入ってきた楽曲「STAR (2010 Remaster)PR」。 タケカワさんのメロディーワークが秀逸だったことを思い出す。私としては「Believe Again」が一押しの楽曲で作曲は中崎英也さん。映画を見に行ったからか、どうしても頭から離れない名曲。また、中森明菜さんの「SOLITUDE」も意外にもタケカワさんの作曲。
●井上陽水
「いっそ セレナーデPR」「少年時代」といった多くのヒット曲を生み出したシンガーソングライター。「心もよう」は名曲だ。以前、小田和正さんがカバーしているのを観たのだが、こちらも素晴らしい仕上がりで感動したのを思い出す。陽水さんの独特の世界観のメロディーは唯一無二。「PUFFY」への作詞の提供は奥田民生さんの曲と相まって大ヒットした。とはいうものの、アイドルへの提供は思いの外少ないと思う。だからまず間違いなく 中森明菜さんの「飾りじゃないのよ涙はPR」 が思い浮かぶ。これを陽水さんがセルフカバーした歌唱シーンを観たことがあるが、これもなかなか素敵だった。明菜さんとは違う魅力がある。とはいえ、この楽曲を自分色に染め上げてしまう明菜さんはやはり凄い。斉藤由貴さんがカバーした「夢の中へ」も忘れがたい。
●松任谷由実(ペンネーム:呉田軽穂)
「ひこうき雲」「埠頭を渡る風PR」「恋人はサンタクロース」など挙げればキリがないほどのヒット曲を生み出しているシンガーソングライター。そのユーミンも楽曲提供が多い。真っ先に思い浮かぶのは、やはり 松田聖子さん。中でも「赤いスイートピーPR」は名曲中の名曲として知られているだろう。またハイ・ファイ・セットに提供した「卒業写真」も不朽の名作だ。聖子さんのシングル曲も「渚のバルコニー」「小麦色のマーメイド」「瞳はダイアモンド」「Rock’n Rouge」などヒット作揃い。ユーミンの提供曲が断トツで多いのだが、当時ライバルである聖子さんに「曲を提供してみないか」と言われたのがきっかけだったというは周知の事実。
★松田聖子さん
聖子さん関連で思い出すのは、財津和夫さん。「チェリーブラッサムPR」「夏の扉」「白いパラソル」と3作連続で担当している。また尾崎亜美さんも「天使のウィンク」「ボーイの季節」などのシングルを手掛けている。聖子さんの作詞作曲陣は、多様なジャンルのシンガーソングライターたちが多い。先に触れたユーミン、財津和夫さん、尾崎亜美さんをはじめ、大瀧詠一さん、細野晴臣さん、大江千里さん、土橋安騎夫さん(レベッカ)、佐野元春さん、タケカワユキヒデさんなど才能あふれる方ばかりだ。中でも、ユーミン(ペンネームは呉田軽穂)、細野晴臣さん、財津和夫さんが圧倒的に多く、シングルを連続で担当することが多かった。作詞は松本隆さんのイメージが強い。
80年代アイドルのトップは間違いなく松田聖子さんだったのだ。デビュー作の「裸足の季節」、次作の「青い珊瑚礁」からの24作は、すべてヒット曲であり「夜のヒットスタジオ」で歌った少しずつの全曲メドレーは圧巻であった。4つの季節に分けて早着替えで歌唱し、最後には感極まった表情は素敵以外の何物でもない。生放送であり極度の緊張から解放された、はたまたミスなく歌えた達成感からのモノだったかもしれない。名場面のひとつであろう。
- #01 裸足の季節(小田裕一郎)
- #02 青い珊瑚礁(小田裕一郎)
- #03 風は秋色(小田裕一郎)
- #04 チェリーブラッサムPR(財津和夫)
- #05 夏の扉(財津和夫)
- #06 白いパラソル(財津和夫)
- #07 風立ちぬ(大瀧詠一)
- #08 赤いスイートピー(呉田軽穂:ユーミンのペンネーム)
- #09 渚のバルコニー(呉田軽穂:ユーミンのペンネーム)
- #10 小麦色のマーメイド(呉田軽穂:ユーミンのペンネーム)
- #11 野ばらのエチュード(財津和夫)
- #12 秘密の花園(呉田軽穂:ユーミンのペンネーム)
- #13 天国のキッス(細野晴臣)
- #14 ガラスの林檎(細野晴臣)・SWEET MEMORIES(大村雅朗)
- #15 瞳はダイアモンド(呉田軽穂:ユーミンのペンネーム)
- #16 Rock'n Rouge(呉田軽穂:ユーミンのペンネーム)
- #17 時間の国のアリス(呉田軽穂:ユーミンのペンネーム)
- #18 ピンクのモーツァルト(細野晴臣)
- #19 ハートのイアリング(Holland Rose:佐野元春のペンネーム)
- #20 天使のウィンク(尾崎亜美)
- #21 ボーイの季節(尾崎亜美)
- #22 DANCING SHOES(Steve Kipner・Paul Bliss)
- #23 Strawberry Time(土橋安騎夫)
- #24 Pearl-White Eve(大江千里)
()内は作曲者
天才作曲家『筒美京平さん』
80年代の作曲家としてトップに君臨していたのが「筒美京平」さんだ。職業作家として縦横無尽に活躍されており、いい曲だなぁと思うとまず筒美京平さんの曲だったりする。これまでのヒットチャートに入った女性アイドルは、京平さんの作品がひとつはあったと思う。あまりのヒット曲の多さに「覆面作家集団では?」という声も聞かれていたと思う。そんな中で、松田聖子さんのシングルでは京平さん作曲の作品はまずない。当時「聖子プロジェクト」が組まれており、その中で、売り出し方や選曲などもされていたということは既に公になっているのだが、そこで旬のシンガーソングライターに曲を依頼し、大ヒットを続けたということに大きな価値がある。昨今の、自分で作って自分で歌うというシンガーソングライターの地位を向上させた大きな要因の一つだと確信している。そういう意味で、松田聖子さんの存在抜きに80年代は語れないと思うのである。私のお気に入りは4作目のチェリーブラッサム。ちなみに中森明菜さんも筒美京平さんの作品ではなくて、シンガーソンクライターがメインのシングル発売を続けてきた一人である。
そして、もう一つ。才能あふれるアレンジャー(編曲家)たちの存在。後藤次利さん萩田光雄さん船山基紀さん大村雅朗さんなど多くのアレンジャーが躍動していた。クオリティの高さや楽曲にドンピシャなアレンジには唸るしかない。イントロを聴けば「あー、あの曲」といった感じですぐに分かるモノが多かった。それほどインパクトとユニークさ(独自性)を兼ね備えたアレンジワーク。私が昨今の楽曲に物足りなさを感じてしまう要素だと思っている。優秀なアレンジャーが多かった時代とも言えよう。
参考:
アイドル四天王で筒美京平さんからの楽曲提供があるのは、中山美穂さんの初期作品くらいでしょうか(C、ツイてるねノッてるね、WAKU WAKUさせて、「派手!!!」などなど)。角松敏生さんのプロデュース以降は、シンガーソングライターが多くなってきている。
★中森明菜さん
80年代女性アイドルを語るときに、中森明菜さんに触れないわけにはいかない。「昭和の歌姫」と言われているが間違いない。歌唱力・表現力などは唯一無二。今振り返ると、アイドルというカテゴリーには収まらないシンガーだと思う。松田聖子さんと同じく、天才「筒美京平さん」のシングル作はなく、旬のシンガーソングライターや魅力的な作曲家たちの作品が多い。
とりわけ初期の作品では、バラード系の楽とポップス系の楽曲を交互に発表していた印象が強く、どちらも彼女の本質的な面を表しているのだと思う。綺麗なビブラート、しっかりとした低音域の歌声は彼女の魅力の一つ。7作目あたりからは、様々なジャンルのポップス系のダンサブルな楽曲が続き、彼女の歌唱スタイルも完成度が高くなってきている。私のお気に入りは18作目のTANGO NOIR。
- #01 スローモーション(来生たかお)
- #02 少女A(芹澤廣明)
- #03 セカンド・ラブ(来生たかお)
- #04 1⁄2の神話(大沢誉志幸)
- #05 トワイライト -夕暮れ便り-(来生たかお)
- #06 禁区(細野晴臣)
- #07 北ウイング(林哲司)
- #08 サザン・ウインド(玉置浩二)
- #09 十戒(1984)(高中正義)
- #10 飾りじゃないのよ涙は(井上陽水)
- #11 ミ・アモーレ(松岡直也)
- #12 赤い鳥逃げた(松岡直也)
- #13 SAND BEIGE -砂漠へ-(都志見隆)
- #14 SOLITUDE(タケカワユキヒデ)
- #15 DESIRE -情熱-(鈴木キサブロー)
- #16 ジプシー・クイーン(国安わたる)
- #17 Fin(佐藤健)
- #18 TANGO NOIRPR(都志見隆)
- #19 BLONDE(Biddu-Winston Sela)
- #20 難破船(加藤登紀子)
- #21 AL-MAUJ(佐藤隆)
- #22 TATTOO(関根安里)
()内は作曲者
ここで挙げたデビュー作から22作品は、どれも口ずさめるし個性的な楽曲ばかりだ。名作曲陣の楽曲を自分色に染め上げて、歌番組では僅か3分程の歌唱時間に全身全霊をかけ、魂のこもった歌唱や振付けを魅せてくれた。振付けも自分で考えたりしていた程のプロ意識の高さには脱帽しかないのだ。シンガーでありながら、『表現者』というほうがしっくりくる。やはりレコード大賞の「DESIRE -情熱-」の歌唱シーンは泣きながらも迫力あるステージングだったことを忘れられない。松田聖子さんも中森明菜さんも20作品以上もヒット作品が続いていることには、今振り返れば驚愕しかない。聴く者や見る者を惹きつけるモノが彼女たちにはあったのだ。そして作詞作曲編曲を担ってきたミュージシャンたちの才能が輝きを放っていた時代。そんな時代に青春時代を過ごせた私はラッキーだったというほかはない。
80年代アイドルと歌番組
ネットなどがなかった80年代。情報源はもっぱらテレビ・ラジオだった。とりわけ歌番組の影響は大きかったと思う。ザ・ベストテン、トップテン、夜のヒットスタジオ、ミュージックステーションなど、週に4日はあったと思う。衣装も豪華で目でも楽しませてもらった記憶は鮮明である。また演奏も生バンドが結構多く(カラオケではない)臨場感があり本気の歌唱だった。たまには時間が足りなくて凄いテンポのスピードに、歌手が一生懸命合わせていたことも。バブル期であった80年代半ば以降は、制作費も潤沢で華やかさと輝きが今とは違っていたとも思うのだ。歌手のみなさんも歌番組には相当チカラを入れていて、一曲に複数の衣装を用意していた人が多かったように思う。今ではカジュアルさが売りという傾向もあるのだが、やっぱりアイドルには「キラキラ」していてほしいと思う今日この頃。
2011年のベストアルバム。1980年のデビューシングル曲から27作目までを網羅した作品。当時、青春時代だった人ならば誰もが知る楽曲たちで、"松田聖子さんが疾走した80年代感"を肌で感じることができる一枚。それぞれの作曲家たちの才能が輝いている曲ばかりで、充実感が半端ない。名盤。
この年のデビューシングル曲。化粧品のCMソングでした。大ヒット曲・名曲ばかりで80年代当時のアイドルの頂点に立っていました。初々しくも伸びやかなまっすぐな歌声、そして高低自在の音感の鋭さ、わたし個人的に、あまたある名曲の中で、歌唱力の高さが最もよく感じられる一曲。新しい時代の幕開け。
当時の歌番組での、24曲ミニメドレーが忘れられません。4つの季節に合わせた衣装が素敵。約11分34秒(私のビデオデッキのカウンターでの計測です笑)にわたるメドレーを早着替えをしながら歌い切った直後の表情が素敵。