私の学習日記!
TOEIC・大学院・予備校・通信教育
『人生は一生勉強である』という言葉は、折に触れて言われていますが、実際社会に出ると"その通りだなぁ"と得心することが多いのも事実。これからの目標と、ちょっとした過去を振り返りつつ書いてみます。
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★私の"TOEIC点数と英検の比較してみる!
- #1◆TOEICは難しい...
- #2◆何故点数が上がらないのか?
- #3◆自分のチカラの有無を証明する
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★社会人大学院という選択肢を考えてみる!
- #1◆深く考えずに大学へ...
- #2◆社会に出て分かること...
- #3◆いつからでも出来る"学び"...
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★浪人中の予備校選びを考える!
- #1◆甘く見ていた受験...浪人生活へ
- #2◆予備校選び...浪人生にもお薦め
- #3◆1年間の闘い...
- #4◆結果は...
- #5◆今の学習環境
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★受験対策の教材や通信教育を選ぶポイント
- #1◆鉄板の赤本
- #2◆模擬試験を受けまくる
- #3◆記憶に残る通信教育
- 追記
"私の"TOEIC点数と英検の比較してみる!
#1◆TOEICは難しい...
TOEICの点数を上げるにはどの勉強方法がいいのでしょうか。その前に試験について少し...。
昔は英語力を測る試験として、英検(実用英語技能検定:日本英語検定協会)か国連英検(国際連合公用語英語検定試験:日本国際連合協会)くらいしかありませんでした。
私の周りでは英検を受けている人が圧倒的に多く、TOEIC(国際コミュニケーション英語能力テスト:教育試験サービス)を受けている人はあまりいませんでした。英検もTOEICも今とは試験制度が変ってきていると思いますが、英語力を判断する一つの指標になっていると思います。
私は意外と英語が得意の方であり、所謂"学校のテスト"では問題なかったと思います。ですから、十代のうちに英検2級合格。文部科学省が発表している資料によれば、英検2級はTOEIC550~です。大学入試の試験科目も英語が一番自信があり、得点源の一つでした。就職の際にはTOEICの点数が必要だと思い、大学時代から受け始めました。これまでの結果は以下のとおり。
90年代から2010年代までを振り返ります。
※(L:Listening、R:Reading)
- 1992年➝400点(L:205、R:195)
- 2003年➝395点(L:195、R:200)
- 2004年➝460点(L:255、R:205)
- 2013年➝470点(L:195、R:275)
- 2015年➝430点(L:220、R:210)
- 2022年➝440点(L:200、R:240)
入試英語とビジネス英語との違いが大きいと推測しています。出てくる単語は学校のテストではあまり出ないものが多く、やはり"ビジネス的"な試験です。ですから、そうした対策をしたが学習が必要になってきます。
#2◆何故点数が上がらないのか?
こうして振り返ると、この20年以上(30年になろうとしていますが)、大体400点台で500点を突破できないという現実が浮き彫りになってきます。文法が分かっていても、語彙の圧倒的不足。かつ、聞き取りがほとんどダメ(マークシートですから運よく点が取れていたのでしょう)。また、前述したように英検2級はTOEIC550点以上と同等ですから、そのくらいは取れるはず。よって目標は550点。リスニングを何とかすべく、いろいろ試しています。どういう到達の仕方ができるのか、自分でも興味があります。
ただ自分で凄いと思うのは、この20数年間大きな減少がなかったということ。仕事の忙しさを言い訳にしたくはありませんが、学習時間が極端に少なく、買った書籍も少し読んでは、また別のモノといった感じ。つまり継続力がないということです。
#3◆これまでの勉強方法を見直してみる...
本棚を見ると、TOEIC関連の本だけで30冊以上はあります。どれ一つ最後までやりきっていないか、一読して終わり。ヒアリングも付属CDを一回は聴きましたが、それで終わり。結論としては、この逆をすればいいということなのだと思います。
- 一つのテキスト又はコンテンツを徹底的にやり込む
- 頻出単語を死ぬ気で覚える
- 音声CDを何度も繰り返し継続して聴く
この3点が大切だと実感しています。年齢的に頭の回転が鈍くなってきた私には、少々難しさがありますが、若い方ならば可能性充分。継続することが何よりも大切で、それができれば自ずとチカラが付いてくるとかんがえています。私も少しずつ続けて、2020年代中には500点を獲得したいと思っています(あと8年か~)。
追記:
聞けなくても、話せなくても、Eメールで文章を打つことは割とできそうな予感がします。それでも、単に直訳すればいいということではなく、それなりのルールがあるようです。最近はこの本(
英文ビジネスEメール 実例・表現1200 [改訂版] (Z会のビジネス英語)PR
)も読んでいます。
自分のチカラの有無を証明する
とりあえず、下記の書籍を探し当てました。これを学習してどこまで点数が上がるかをテーマにしたいと思います。時間が余れば、公式テキスト・問題集をやる予定ですが、とにかくこのシリーズと『心中』です。下記は進捗状況などを書いていきます。(2022.07.29)
★2022年
- 7.29・・・今日から学習開始。毎日欠かさず継続することが目標。長いこと英語から離れていたせいか、なかなかリズムがつかめません。ただ、分からなくても続けることは決意しています。
- 8.29・・・開始から1カ月が経過。毎日コツコツとやってきましたが、あまりの単語力の無さに愕然。文法も忘れているものがかなりあったと実感。メンタル的に落ち込んでは、モチベーションの維持に努めています。
- 9.29~12.29・・・他の学習に時間を取られてほとんどできなかった。
★2023年
- Myこれ!Liteシリーズ 斉藤由貴 (斉藤由貴)
2010年のベストアルバム。デビュー曲から始まり、それまでのシングル曲を全12曲収録。歌声の"まっすぐさ"は最大の魅力のひとつ。気持ちを音符に乗せながらの耳馴染みのいい高音は、どこか懐かしさを覚えます。ときに"まろやか"、ときに"鋭く"放たれる歌声が、さまざまな表情を見せてくれている一枚。
1986年のシングル曲。アニメ主題曲。低音域から始まるローボイスは、後の駆け上がるサビへの序章として秀逸。言葉数が多くリズミカルなサビ歌唱が印象的です。アレンジがこの楽曲のもつ"明るさ"を華麗に飾っています。メロディーメーカーとしての才能が輝く、あのシンガーソングライターの作曲。
恒例の大晦日の歌番組での黒い帽子と大きな蝶ネクタイ姿がcuteでした。元気になりたいときによく聴いていたのと、塾をさぼってゲームセンターに行っていた記憶とリンクしていて、苦い思い出ながらも私の十代に欠かせない楽曲でした。
社会人大学院という選択肢を考えてみる!
『大学・大学院で学ぶこと』について考えてみたいと思います。それぞれの人生の場面で進路を選択する必要がある場合があります。社会人として、受験生(高3、浪人)として...。
当時の世相や風潮について考えます。
#1◆深く考えずに大学へ...
あの頃(80年代)は、良い大学に行って良い会社に入って、という世の中の風潮の中で受験勉強だけ頑張り、入学したらあまり勉強していなかったと思います。一部の学生を除いて大方の受験生はそうだったのではないでしょうか。
私もその一人。良い高校、良い大学、良い大会社に入れば幸せが待っていると言われていた時代でしたから、できるだけ偏差値の高い学校へ進学すればいいのだと、なんの疑いもなく歩んできました。それが正しかったのかどうかは分かりません(実際は就職氷河期にぶつかり相当苦労したのですが)。
浪人生活をしたものの何とか大学へ入学。真面目に勉強したとは言い難い私ですが、社会に出ると"あの時の時間の貴重さ"を痛感します。もったいなかったなぁと思うこともしばしば。会社では日々の業務に追われ、プライベートの時間もあまり取れなくなります。仕事をしながら勉学を両立させている友人を見ていて、とても大変だと感じていますが、羨ましくもありました。
#2◆社会に出て分かること...
そんな中でも、年数を重ねていくと割と時間が作れたりもします。30代、40代半ばくらいは、まだ若さも体力もある年代です。今一度の学び直しの欲求も沸いてきたりします。
仕事を通じて見えてくることも多々あります。それ故に自分の職種や業種に関わるテーマを深く掘り下げてみたいという方もいることでしょう。
私も30代に入ったときに、いろんな大学や大学院を調べたものです。
土日のみで単位取得可能なところ、夜間の大学院、通信制の大学など、ネットを見たり資料請求をしたりして考えていました(8校程資料を頂きました)。科目履修生や聴講生制度もあり、自分のテーマに沿った”学び”も可能です。
結局地方への転勤ゆえに断念しましたが、今でも環境が許せば「学びたい」という感情はフツフツと湧いてきます。
あの時、働きながら学校に通っていたらどうなっていたのか、途中で挫折していたのか、それとも晴れてやり遂げることができたのか、今ではその答えは霧の中ですが、ちょっぴり未練があったりもします。
いつからでも出来る『学び直し』ですが、現役中はやはり経済的に厳しい面があります。家庭を持ち子供がいれば、ローンや教育費などで飛ぶようにお金が出ていきます。また、時間的にも仕事の中心的立場になってくれば、時間のやりくりにも腐心します。体力的にはまだまだあるものの、仕事と勉学との両立は思うほど簡単ではないと思います。
だからこそ、やり遂げた後の充実感や自信は、自分をより成長させてくれるものだと思っています。
そして、そこで得たモノを自分の"チカラ"として蓄積・発揮したり、会社なりに戻って社会に還元していくことこそ、こうした進学がもたらす本当のメリットかもしれません。
#3◆いつからでも出来る"学び"...
つまり人生一度きりですから、何歳からでもチャレンジは遅くないと思いますし、その後の自分への成長・投資と考えると決して無駄ではないと考えています。
今の世の中、学ぼうとする気持ちさえあればその機会は数多くあります。ネット環境の発達・充実による学習サポート環境の進化は、計り知れないものがあると思っています。学びたくても学べないような国がたくさんある中で、大学・大学院にしろ学ぶ機会が数多くあるということは素晴らしいことだと思います。社会の成熟度の違いによるものだとしても、そうしたチャンスを生かしていけたら活力ある生活を送れるのではないでしょうか。
また、家庭を持つ人にとっては家族の理解とサポートは欠かせません。それは経済的のものにとどまらず、総合的な理解が得られる環境を作ることが大切だと思います。自分の環境をしっかり把握し、「学びたい」という気持ちが確認できたのならばそれを大切にし、様々な学校の資料請求をしてどんな内容が学べるかを調べたりして自分の可能性を探ってみてはいかがでしょうか。私もまだ諦めてはいません笑。
1990年のライブ映像作品。2016年に発売。コンサートの映像作品はこの一つだけなので貴重です。全17曲をまさしく"熱唱"しています。バラードありロックテイストありと、ステージ全体をフルに使って歌唱する姿は、エネルギッシュでカッコいいの一言に尽きます。宝物の一枚。
1986年のシングル曲。主演刑事ドラマ挿入歌。この時のパフォーマンスは素晴らしいです。軽やかなステップとダンスは、身体能力の高さと才能を兼ね備えているからこそ。硬派な声質の歌声は、真似できない味があります。渋さと優しさに圧巻です。
浪人中の予備校選びを考える!
苦しかった予備校時代。
#1◆甘く見ていた受験...浪人生活へ
猛勉強の末に進学校に入学した私は、ハッキリ言って大学受験を甘く見ていました。学校の授業と部活に励みながら、現役合格は楽勝だろうと思っていたのです。学校の成績が良くないにも関わらず、3年生の1年間猛勉強すれば大丈夫だろうという安易な発想。みんなが人前ではやっていないだけで、見えない所で努力していたのだと気が付いたのが遅すぎました。
ですから絶対的な学習量の不足から当然合格できず、浪人生活を送ることになったのです。自業自得です。ただ、それなりに高校生活もenjoyしていましたので、後悔はありませんでした。ほぼ半数の生徒が浪人するという緩い校風に染まってしまっていました。
#2予備校選び...浪人生にもお薦め
高校在学中から予備校に通っている生徒も多いと思いますが、現役合格できず浪人生活を送る人にとって心強いモノ、それが予備校です。
普段の学校が無いため、一日中学習することができるわけです。そこで重要になってくるのが1日の大半を過ごすであろう環境選び、これは大切です。どこの予備校にするかとても迷いましたが、担任の先生とも話し合ってある予備校に決めました。部活の先輩から聞いた講師の先生方の質の高さが決め手だったとも記憶しています。
当時は、駿台予備校、河合塾、代々木ゼミナールが3大予備校として認識されていました。今ではいくつもの予備校があり、それぞれ特色を出して授業をされていると思います。
そんな中、私は駿台予備校に決めました。
イメージとしては、東大・京大・早慶などの一流といわれている大学を目指している人向けという印象でしたが、今では実際はもっと幅広い中堅大クラスの受験者層をもカバーしていると思いますし、私の高校から最も多くの生徒が行った予備校が駿台でしたので、より多くの受験生にとって頼りになる予備校だと思います。
クラスには担任の方が付いていて、受験だけに限らずいろいろと相談にも乗ってくれていました。何とも心強い存在です。高校のクラス的雰囲気もあったと思います。駿台予備校系列の駿台文庫が出版している過去問集、通称「青本」も必要不可欠なものでした。
また、夏期講習などは、駿台だけでなく友達に誘われて『河合塾』の講義と模試も受講しました。なかなかハイレベルな授業内容で、とても刺激的でした。通っている友達は、見事に難関大に進んでいきました。こちらの予備校も悪くないなぁと感じたことを思い出します。今では学校の試験の成績UPのためのコースもあり、以前と変わらず積極的に生徒をフォローしているようです。
【閑話休題】
30年以上昔の『偏差値』について振り返ってみます。私は[経済系]の学部志望でしたので、そこに焦点を当ててみます。当時の大手予備校の"ある"入試日程表&偏差値表によると(早慶とGMARCHのみ抽出。学科はすべて経済学科。)、
- 早稲田:政経(68.3) 2/21
- 慶應大:経済(67.5) 2/17
- 立教大:経済(63.5) 2/13
- 学習院:経済(62.9) 2/14
- 明治大:政経(62.9) 2/18
- 上智大:経済(60.9) 2/16
- 青学大:経済(60.8) 2/16
- 中央大:経済(60.8) 2/19
- 法政大:経済(59.1) 2/12
今は偏差値と呼ばずに難易度と言ったりもしていますが、当時の呼び方は間違いなく『偏差値』でした。こうして眺めてみると、やはり早稲田と慶應が頭抜けています。上智は経済系ではそうでもなかったのかと思いますが、難しかったのは事実。その他の今でいう『GMARCH』の6校は、まぁ近い範囲と言えばそうなります。立教がこんなに高かったのかと少し驚いています。実際、この偏差値は私大模試のデータに基づいていたので、人気があったのかも。あと、ここの予備校の偏差値は低く出過ぎる傾向がありますので、今の偏差値との比較は純粋には困難かなぁ。
あと、カテゴライズに関しては、
- 早慶上智(早稲田・慶應・上智)
- MARCH
- 日東駒専
- 大東亜帝国
MARCHという呼び方の記憶はあまりないです。日東駒専の『東』と大東亜帝国の『東』が、東海もしくは東洋のどちらだったかは判然としません。また学習院は、今ではGMARCHのGと認識されていると思います。ただ皇族の方が行く大学ですし、当時の私の中では所謂志望校の対象ではありませんでした。受験ピラミッドから離れた特別な大学という印象がかなりありました。
#3◆1年間の闘い...
もともとお腹が弱かったと思います。毎週のように模擬試験があり試験会場までの電車の中で脂汗を垂らしながら、途中下車や会場のトイレに駆け込んでいました。身体的な辛さに加えて精神的な苦しさの思い出。夏くらいまでは散々な模試の結果でした。その度に落ち込み、クラス担当の先生に話を聞いてもらっていたと思います。感謝しかありません。
2浪はできないと決めていたので、プレッシャーも半端なく時たま授業を欠席したこともありました。振り返れば長い人生の中のたった1年ですが、当時は落ちたら人生終わりくらいの思考だったと思います。
ですから、毎週の模試はすべて受けました。体調が悪いと頭の回転も鈍ってきます。普段なら解ける問題も出来ないこともしばしばでした。ただ、この模試漬けのおかげで試験に対するプレッシャーや緊張は薄れていき、少しずつですが私に力を付けさせてくれたのだと感じています。そして本番でも普段のチカラが出せたと思っています。苦しさの後にはきっと良いことが待っていると、自分に言い聞かせていたあの頃が懐かしい...。
#4◆結果は...
私は自習室や食堂に籠ってよく勉強していましたが、同級生が多かったせいか緊張することもなく集中していたと思います。それに、家で一人で黙々と勉強していると息が詰まってきます。こうした"場"も必要でしょう。幼馴染でよく遊んでいた友人が2人いたのですが、一人は河合塾、もう一人は代ゼミに行きました。いろいろ話をしてみると、予備校によって特色があるようで、それはそれで興味深かったです。もちろん相性というのもあるかと思います。
結果としては希望の大学に行けたので満足。全体的に見てもお薦めの予備校ですが、加えて思うのは、この1年の間に苦しい場面が何回もありましたが、それを乗り越えてきたという自信が今の私の大きな礎になっている気がしてなりません。最後に、今の受験生の皆さんに幸あれ!
#5◆今の学習環境
私にはとっても心強かった「予備校」。ネットの進んだ現代では、
- ネット配信授業やオンデマンド授業
- アプリなどを利用した学習サービス環境
- 進化した学習する環境の快適さ
などといった所が特徴として挙げられると思います。模試のクオリティの高さも見逃せません。1年間継続して学習する環境が揃っていると思います。ホームページを参照するのも良し、見学に行くのも良し、自分の目で確かめてみてください。雰囲気もわかることでしょう。不合格直後の4、5月頃は精神的にも不安定になりがちです。そんな時にきっと"チカラ"になってくれるもの、それが予備校だと思っています。
合格するための道は決して一つではありませんし、個人に合った学習方法もあると思います。自分にとってどの方法が合っているか、これを見極めることに尽きると感じています。と同時にあまり勉強方法の「浮気」をしないこと。コレと決めたらその方法を最後までしつこいくらいにやり遂げる意志が大切ではないでしょうか。そのためには、『腹をくくる』ことが必要だと振り返って感じます。
2003年のベストアルバム。デビュー曲から始まり、それまでのシングル曲をメインに収録。聴きごたえ充分。楽曲そのものが名作が多く、とりわけデビュー以来メインにたずさわっている稀代のアレンジャーの手腕が発揮され、世界観を印象付けたと思います。甘く芯のある歌声は美味。
1987年のシングル曲。当時主演していた"ヨーヨー"を使うドラマと言えばお分かりと思いますが、その第2弾の主題曲。映画版でもエンディングに流れていました。マイナーコードで展開するこの楽曲は、どこか淋しげながらも真っ直ぐな雰囲気を漂わせています。名曲。
初めてレコードを買ったのは、このシングルではなくアルバムでした。当時、デパートのレコード売り場へ行き、予約して買ったのを思い出します。引換券を握りしめ家に帰りました。手に入る日がどれほど待ち遠しかったことか。あのときの"気持ち"は宝物。
受験対策の教材や通信教育を選ぶポイント!
#1◆鉄板の赤本
受験に欠かせないもの、それが過去問です。とりわけ学校別学部別の過去問として有名なものに通称「赤本」があります。表紙が赤いからのネーミングですが、この過去問も何回転もやり込みました。また、通称「青本」もあります。こちらは前頁で書いたように駿台予備校系列の駿台文庫が出版しています。これら過去問をとことんやり尽くしたことも大きな成績の上昇に繋がったと思っています。
#2◆模擬試験を受けまくる
高校時代から模擬試験の類は結構受けていたのですが、浪人時代は毎週のように受けていました。予備校のもの以外のモノも積極的にチャレンジしていました。初めのうちは、結果が悪ければガックリし良ければ嬉しくと一喜一憂していたのですが、途中からは考え方を改めて、最後に合格可能性100%と出ればいいやと開き直ったのです。
案の定、夏終わり頃から少しずつ成績は上昇しました。ここで思ったのは、大きな結果を生み出すには「日々の少しずつの努力の積み重ね」しかないということです。すぐに結果が出るモノは、すぐに結果が出なくなるモノでもありそうだと感じたことを記憶しています。(資料を引っ張り出してみると、因みに入試直前には、4月の偏差値から+15くらい上昇していました)。
#3◆通信教育
難関大へ進学していった仲間の多くが「Z会」に入っていたことを思い出します。中学から始めた者、高校から始めた者など、開始時期は様々でしたが確実に"チカラ"が付いていくのが傍目からも分かりました。受験業界の通信教育の"雄"といっても言い過ぎではないと思います。
部活などで塾や予備校に通うことのできない生徒にとっては、まさに絶好の学びの場でしょう。今では映像の講義もあり頼りになります。資料請求をしてみて"どういう内容なのか"を知ることも価値があると思っています。
※
高校の授業だけでは乗り切れないのが大学受験だと痛感しました。やはりその大学独自試験の場合は、その特徴・傾向などもあると思います。ですからそうした対応も必要になってきます。甚だしんどい作業ですが、必須な学習です。学習には"ポイント"があって、あまり重要でないものもあります。得意科目を伸ばすよりも弱い科目の底上げに"チカラ"を入れることが成績UPにつながってくるのだと思います。
追記:
社会に出ると、『試験』というものは基本的には無くなります。学生時代より楽になる印象ですが、逆に言えば『厳しい』とも言えます。自分なりにテーマを決めて(持って)仕事に取り組む必要があります。そしてそれは、『成果』として会社の評価を受けることになるわけなので『試験』がない方が厳しく大変だと感じます。常に学ぶ姿勢を大切にしたいものです。
2002年のツアーの映像化作品。始まりのピアノソロから惹き込まれます。シングルヒット曲だけでなく、アルバム収録曲もふんだんに盛り込まれていて、その魅力を余すところなく感じることができます。ライブでのパフォーマンスはCDを聴くだけでは味わえないものばかり。個性的な歌詞は"ならでは"という感じ。メロディが持つテイストはデビュー時から不変で、普遍。いろんな"顔"が凝縮された一枚。
1996年のアルバム収録曲。
恋愛の入り口にいた私の"気持ちそのもの"でした。その人のカワイイ"この言葉の響き"を思い出します。歩きながら横でよく聴いた言葉。最小のlove-wordなのかもしれない。この楽曲とともに忘れないでしょう。可愛かった"あの響き"を。