ましゃの頚椎後縦靭帯骨化症の闘病記...
#3◆総合病院・専門病院へ転院
2005.02.08
C総合病院へ転院
2月頃。
私サイドの諸事情により、C総合病院へ転院をした。
今度の先生もとても優しい感じを受ける。ちなみに脳神経外科の先生。首の病気は、脳神経外科の先生でも見てくれるのかと初めて知った。
"指導医"とのことだから経験豊富なベテラン先生なのだろう。柔和な語り口と笑顔が私をホッとさせる。首のレントゲンをとったのだが、"これかな"と思うくらいの中程度だそうだ。握力は右33kg:左30kg。腱反射の検査もしたが、症状としては重くはないとのこと。
手術の判断基準としては、階段を降りるのが難しい等いろいろお話してくださった。
この病院にも、もちろんMRIはあるのだが、だいぶ先まで予約が埋まっているということで、MRIのある他の施設で撮ることとなった。手術に関しては、100人に1人くらいのリスクがあるとのこと(症状が重い人の場合)。症状が軽いと、手術でも回復しやすい傾向にあると仰っていた。
※
この頃から、"大人ニキビ"に悩まされ始めました。10代の頃からよくできる体質でしたので、悩んでいました。一時よくなりましたが会社での忙しさが増すと同時に再び出来始めました。
今では、過度なストレス状態が続いたことが要因かと思っています。そんな時目についた商品が気になり出しました。「ホントかなぁ」と半信半疑でしたが、申し込んでみたことが思い起こされます。
<回顧録>.....脳神経外科
脳神経外科で診てもらうことになるとは、夢にも思いませんでした。脳の病気などを扱うものと思い込んでいたのですが、実際には、整形と脳外の両方の重なった守備範囲のようです。
実際にだいぶ後のことですが、頭が痛くて近所の脳神経外科に行ったときに首の話をしたら、頭のCTを撮ってから、「首もみましょうか?」と言って下さったこともありました。「お願いします」と言ってCTを撮ってもらいました。画像を見せながら丁寧に分かりやすく説明してくれました。
2005.02.15
7日後、MRI検査の結果
先日撮ったMRIが病院に届いているというので、病院へ。
先生いわく、「画像からはヘルニアにみえるね」とのこと。パっと見ると、ヘルニアも骨化症も画像的には似ているのかもしれない。もちろん、先生には骨化症だということは伝わっているのだが。
「手術しますか」と言われたが、ちょっとここは保留した(やるとすれば、首の前方からとのこと)。後日、頚椎のCTと、胸椎・腰椎のMRIを撮るとのこと。腰椎は昔から腰痛持ちなので私からお願いしたのだが、胸椎については"頚椎に骨化がある場合、胸椎にもできていることが多いんですよ"と言われた。
そういえば前の大学病院でも、造影剤CTと胸椎MRIを撮ったことを思い出した。この数日後、震えとめまいがとまらず、地元の内科へ。血圧が200近かった。検査の結果、血中水分不足のための脱水症とのこと。3日間ほど入院して点滴と降圧剤の服用。点滴したら背部痛が和らいだ気がした。これは首とは関係なく、過度の緊張状態が続いていたためだと、私は思う。うつ的症状だったのだろう。
<回顧録>.....手術の術式
頚椎の手術法は、現在ではいろんな種類があると思います。
よく知られているのは次の2つかと。
一つは「頚椎椎弓形成術」。
首の後ろ側を切開し、骨の真ん中を縦に切り離し、扉を開くようにして骨と骨の間を固定物(プレートなど)で繋ぎ固定するというもの。
例えが適切でないが、会社などで書類を整理するのに使うファィルに付いているリング(輪っか)のような感じ。書類をしまう時にリングを開くと、その輪っかの空間が広がります。それと同じ感じで脊髄神経の通り道を広くしようというもの。広くすると、骨化部により圧迫されていた脊髄が、後ろへできた空間へ逃げることができるようです。この話を聞いたとき、人間の体の不思議さ・神秘さに感動しました。
もう一つは、「頚椎前方固定術」。
首の前側を切開し、食道や血管、神経をよけながら骨化部を直接取り除き、その後プレートなどで上と下の骨を固定するというもの。
先生から聞いたお話では、「頚椎椎弓形成術」は、直接神経を触らないので、比較的安全で身体への負担が少ないとのこと。ただ入院期間は長め。また「頚椎前方固定術」は、神経や血管をよけながら骨化部の除去を行うので、高い技術が必要とのこと。
(ただ、早く退院できるというメリットがあるとのこと)
私としては骨化部分を直に取り除いて欲しいと思っていました。ただ、こればかりは私の首の状態や先生の考え方を考慮して決めるものだと思っています。
私も最初はよく分かりませんでしたが、いろんな病院のホームページを見ているうちにだいぶ詳しくなってきたようです。
- そして僕は途方に暮れる (大沢誉志幸)
1984年のシングル曲。多くのアーティストにも楽曲を提供しているメロディーメーカーです。アルバム「CONFUSION」収録。少し早めの一定のリズムアレンジが極めて印象的。都会的サウンドを強く感じ、何とも言えない余韻を残す、そんな楽曲です。初めて聴いたときは衝撃でした。かすれ気味の哀切のある歌声と、オシャレ感のあるメロディーがカッコいい。当時、ずっと頭の中でループしていました。サビも秀逸。忘れられない一曲。
当時はカセットテープに録音して毎日聴いていました。この楽曲はどこか懐かしい。サッカーの試合の前に、必ず聴いていた思い出。緊張しすぎて思うようなプレーができなくよく叱られていました。なぜこの楽曲だったのか。しかし闘争心を与えてくれてながらも落ち着く。今でも理由が分かりません。
2005.02.25
7日後、CT・MRI検査結果
今日は、前回のCT検査の結果を聞く日だ。
やはり結果は「頚椎後縦靭帯骨化症(OPLL)」とのこと。MRIよりもCTのほうが判断がしやすいのかな?と思った。大学病院でも造影剤を使ったCT(ミエログラフィー)をして骨化症が判明した経緯があるから、造影剤がなくともCTのほうが分かりやすいのかもしれないと思ったりした(これは完全に私の推測です)。
腰椎のMRIの結果は、ヘルニアが確認できるがそれほど重症ではないとのこと。ただ腰がひどく痛いことを話したら、「コルセットを作りましょうか」ということになった。先生は、「症状が軽いので手術はないかな」というご意見だった。
前回の診察のときには、手術に前向きな感じだっただけに意表を突かれた感じだ。画像的には圧迫があるとしても、症状が軽いうちは手術しないほうがいいという先生の考え方にも、私自身頷ける部分があったのも事実だ。
先生のご意見ももっともですが、内心は、"早く手術して良くなりたい"という気持ちの方が、強くなっていたと思う。しかし、できる限り体にメスを入れたくない気持ちも当然強くあり、メンタルが少し不安定な感じだ...
気分を変えようとする時には、フッと本棚に視線が向きます。全く病気から離れた分野である「英語」。その電子メール文例の本( 的確に伝わる英文ビジネスEメール例文集 PR)をめくりながら、頭の中で呟いていました。会話がいまいちの私には、メールでのやりとりくらいは、という気持ちもありました。少しは覚えることができたかな。
TOEIC対策としては、以下の本を繰り返し学習中。
<回顧録>.....腰のコルセット
後日、腰のコルセットを作りに病院に行きました。これがなかなか本格的なもので、実際にわたしの腰から胸のサイズを採寸しました。
専門の業者さんが来ていて、オーダーメイドの洋服を作るのと同じ感じ。1週間後コルセットが出来上がり、病院へ行き"仮合わせ"をしました。2週間後また病院へ行き、装着してみて問題なかったのでこれで終わりました。マジックテープで止めるようなものではなく、胸から腰までベルトでガッチリ固定するもの。25,000円くらいだったか。
先生いわく"あまり長期間着けていると筋力が衰えるから痛い時だけ"とのご忠告。頚椎カラーの時もそうでしたが、固定している時間はなるべく短いほうがいいのだと改めて実感しました。
2005.04.01
診察
今日の先生も元気そうだ。
最初の時からだが、いつも柔和でどこか、ひょうひょうとしている感じが私は好きだ。コルセットを装着していると楽になると話したら、"ホントに痛い時だけにして"と念を押されてしまった。
腰のヘルニアは、神経自体にダメージはないとのこと。あと初めて腰の神経のCT写真を見せてもらったのだが、なにか"砂磁石が縦に伸びてるような形"でちょっとビックリ。
神経はこんな形をしてるのか!
(後で思い出しのだが、若い頃、歯の神経を抜いたときに、その神経の実物を見せてもらったのだが、その形にソックリだった。)
このあと、2カ月ごとの診察を続けた。そして、3年くらい経った頃からだろうか。
どうにも腰が辛くなってきたので先生に相談したところ腰の専門の先生への紹介状を書いて下さった...。予約を入れたのだが、混んでいるそうでかなり先になってしまった。たしか2年先くらいの予約しか取れなかったと思う。
<回顧録>.....傷病手当金
話は前後しますが、検査入院をした際に2週間会社を休みました。その間、傷病手当金なるものが健康保険組合から給付されるとのことで申請をしました。
有給休暇を取得という方法もあろうかと思いますが、病気ですのでこちらを会社から勧められたと思います。こうした制度も全く無関心でしたので、初めてその存在を知りました。
傷病手当金は、病気やケガで働けないときに支給されるもののようです。待機期間が3日間あり、4日目から支給対象になるとのことでした。金額は、ざっくり言えばお給料の2/3くらいです。他にも知っておくべきことがあると思いますが、詳細は、ご自身の健康保険組合の冊子やウェブサイトをご覧になると分かると思います。
"[支給開始日以前の継続した12カ月間の各月の標準報酬月額を平均した額]÷30日×2/3"という計算かと思います。
この書類を会社から貰って、病院で記入してもらい会社に提出しました。
個人情報保護の観点から画像に一部加工を施しております。
この頃から、バランス栄養食品の( 大塚製薬 カロリーメイト ゼリー アップル味 215g×24袋 PR)を買って飲むようになりました。食事が偏っているというよりも、食欲が無く体重も減って来たので、あまりカロリーが取れてない感じ。ケース買いしていたと思います。
- FIRST LOVE (鈴木雅之)
1991年のシングル曲。アルバム「MARTINI」収録。私が敬愛する小田さんのプロデュース作品。サビ高音のインパクトは強烈かつキャッチー。サビの言葉とメロデイーが印象的に耳に残ります。ビールメーカーのCMソングでしたので、見ている人の耳に残る"チカラ"があるのだと思います。小田さんテイストのメロディーなのですが、歌唱表現がそれを凌駕していく感があります。お二人とも声量があり高音がキレイに出ますので、曲を書く側と歌う側との何か共通項があるのかなと思っています。素敵な一曲。
2009.04.09
D脊椎専門病院へ転院
4月頃だったろうか。
紹介状をもらって予約を入れた日から、だいぶ時が経っている。
D脊椎専門病院に行く。バスと電車を乗り継いで1時間40分くらいだ。家からは少し遠いが仕方ない。駅を降りてからは徒歩で10分くらいだったが、駅から近いのは有難い。
今度の先生も非常に柔和で、物静かな話し方だ。私は先生に恵まれていると思う。腰のレントゲンと腰椎MRIを撮った。検査を終えて、ぼんやり待っていたら診察室へ呼ばれた。
結果としては、
腰椎5番6番の椎間板ヘルニアと腰椎環状骨端骨折というものであった。
聞きなれない言葉だが触診でいろんな検査をしてくれて、パソコンの画面に映し出された画像を丁寧に説明くださったと記憶している。どちらの病態がどの症状とリンクしているのかは、分からない。とにかく腰に問題があるのは確かなようだ。
次回は腰のCTを撮る予定。
<回顧録>.....環状骨端骨折
生まれて初めて聴いた言葉でした。今でもよく分かっていません。腰骨の一部が剥がれて・・・という説明だったと思いますが、あまり記憶にありません。ただこの病名のスタンプが机の上にあり先生がカルテに押していましたので、意外とこの患者さんは多いのかもしれないとも思いました。
私の腰痛持ちはこの時に始まったものではありません。学生時代から痛かったように思います。一度家の階段を踏み外して下まで落ちたことがあって、咄嗟に壁のどこかに掴まったのだが腰をしたたかに打ったのです。関係あるのかな?
2009.05.18
腰椎のCT検査
今日は腰のCTを撮った。
先生がおっしゃるには、腰の圧迫具合はそれほどでもないとのこと。一応、首の骨化症のことも話した。次回に頚椎のレントゲンと頚椎MRIを撮ることにしてもらった。
これは腰を手術するときのことを考えて、首の状態を伝えておいたほうがいいと思ったのだ。このことは話しておいて良かったと思う。
ここから事態は動いていった...
※
この2週間後くらいだったと思うのですが、家のパソコン(ディスクトップ型)が電源ボタンを押しても反応が良くなく異音まで聞こえるようになってきました。
そこで買い替えを決意。リサイクル法によりメーカーのリサイクルセンターへ送る流れなのですが、パソコン内のデータを外部メモリに移しパソコン付属の消去アプリを実行しました。
それでも不安感は拭えません。買った消去ソフトが、
こちらのシリーズ(
完全ハードディスク抹消17
PR)。うまく出来ました。あと友達に聞きながら、分解してハードディスクをハンマーでガンガン叩きました。すると、中からシャカシャカする音が。こうして長年愛してきたパソコンと、サヨナラしました。
<回顧録>.....伝えた首の話
腰の紹介状で行ったのですが、やはり首の病気のことも話しておいたほうがいいと考えました。先生からしたら、あまり関係ないのかもしれませんが、私の性格上、現在進行中のことは伝えたかったのです。ですから「分かりました」で終わると思っていました。
ところが、脊椎専門の先生だからでしょうか。気にして下さった様子でした。ただ今回の検査でも、今まで通り"経過観察ですね"とのお言葉が返ってくると思いこんでいたのです。
どこの診療科にかかるにしても、今の自分の身体の状態は伝えておいた方がいいと実感しました。外科にかかったときに「内科系の気になるところがあるけど言わなくてもいいか」と思いがちです。しかし、どこでどう繋がっているのか分かりません。話してみて「それは今回の症状とは関係ないよ」と言われればそれだけのことですから。外科・内科に限らず伝えるようにしています。
- アイノカタチfeat.HIDE(GReeeeN) (MISIA)
2018年のシングル曲。影絵風のPVが強烈に印象に残っています。歌唱力には絶大な定評があります。物凄いパワーのある楽曲。伸びやかな歌声と豊かな感情表現は頭抜けています。音符から音符へのジャンプを、羽があるが如く軽々とこなすその力量に、驚愕と感動を覚えます。震えました。無尽蔵の声量。
毎年恒例の年末の賞番組での歌唱が頭から焼き付いて離れません。歌手というくくりでは決しておさまりきらない人。情感を体いっぱいに使っての歌唱は、もはや"表現者"そのもの。圧倒的な存在感とパワーを感じるのです。
2009.07.02
頚椎のレントゲン・MRI検査結果
首のレントゲンとMRIを撮り、その後診察室へ。
やはり骨化部分が脊髄をかなり圧迫しているから、足の症状についても首からの影響が無視できないとのこと。腰の方は歩けなくなることはないが、頚椎の方はだいぶ圧迫しているし悪化すると歩行困難になる可能性もあるので、前方からの手術で除圧したほうがいいでしょうとのお言葉だった。
骨化個所は、首の4番5番、5番6番の2か所。これは腰より首のほうが断然優先ですねとのお言葉。これには、さすがにショックを受けた。
首の骨は頭の方から1番-2番-3番・・・と続いているのだが、頭に近いところの場合、後々脳への影響も考えられるので手術をしたほうがいいとも仰っていた。
手術方法としては、首の前方を切開して骨化部分を取り除き、チタンゲージで固定する方法とのこと。これは事前にホームページで確認していたのである意味想定内だったが、入院は1週間程度とのことで極めて短い。正直ビックリ。
首の後ろを切開する「椎弓形成術」もあるようで、たまたま会社の50代後半の先輩が少し前に「頚椎後縦靭帯骨化症」で手術していたのだが、先輩は首の後ろを切開したよといって傷口をみせてくれていた。
話は逸れるが、私がこの病気になったと職場で話したあと、多くの人から"病院紹介しようか?"、"仕事のことは気にしないで"などと声をかけてくれた。私が病気になって一番得たのは、仲間たちの優しさだっただろう。
心からそう思う。
手術すれば、足の症状も改善されると思うとの有難いお言葉。てっきり腰の手術になると思っていたので正直面くらった感があったのだが、手術に前向きなお話を聞けて少し感動。先生のお話しぶりと、的確な説明、温和な笑顔にその場で手術を決めた。
慎重な性格を自負している私にしては、あまりないことだ。正直、直感としか言いようがない。
一番早く手術できる日が9月末とのことで、その日に決定。
逆に言えば、手術を待っている人がそれほどいるいうことに少しばかり驚いた。また、先生から難病申請したほうがいいですよ(公費負担が可能)とのお言葉と、高額療養制度を使えば、退院の時、窓口支払が少なくなるから申請してみては?との有難いお言葉を頂戴した。
ただ、恥ずかしながら全く知らない。これは、自分でも少し勉強する必要がありそうだ。経過観察が長かったので、少しでも前進できることを嬉しく思う。受付で手術関連の書類をもらって帰宅。
今日の症状は・・・・
・両足の裏のしびれ(これは脊髄症の場合によくみられるらしい)
・両足のつっぱり感・締め付け感
・右手のグーパーがぎこちない
・歩き続けると足が痛くなる等いろいろ・・・・。
腰も痛いのだが、まずは首をきちんと直すことを第一に考えよう!
<回顧録>.....エックス線検査(レントゲン)の装置
エックス線は放射線の一種ですが、通常のレントゲン検査はとても少ない線量で撮影しているので、ほとんど問題ないそうです。すべての作業をデジタル機器で処理し画像を作成するので、これまでの現像液などは不要で、環境問題にも配慮されている機器だそうです。時代とともに、新しい技術がどんどん開発されることは素晴らしいと思います。
先生の机の上にモニターがいっぱいあって、瞬時にレントゲン、CT、MRIの画像が表示されてビックリ。そこで、好奇心からいろいろと先生に質問してしまいましたが、丁寧に資料をくださり教えて下さいました。感謝です。
2009.07.07
難病(特定疾患)申請[1]
7月初頃。
今日は、市の保健所に「難病指定」に関する書類をもらいに行く。
保健所は新しい感じのビルだ。応対してくれた職員の若いお兄さんは、昼休みの時間にもかかわらず丁寧に説明して下さった。
渡された書類の内、提出すべきものは・・・・・
1.「後縦靭帯骨化症 臨床調査個人票」
2.「同意書」
3.「特定疾患医療受給者証 交付申請書」
4.「健康保険証のコピー」
5.「住民票の写し」(世帯全員で続柄の記載のあるもの)
6.「平成○年分の生計中心者の所得税額を照明する書類」(つまり源泉徴収票)
7.「患部レントゲン写真」(私の場合は頚椎)後日病院からMRI画像をCD-Rに焼いたものとなった。
提出する書類が多い。
帰宅後、
1.「臨床調査個人票」の中で、私が記載するところを埋めて病院に郵送した。その足で市民センターへ行き、住民票をとってきた。
2009.07.09
限度額認定証[1]
7月初頃。
会社が所属している健康保険組合の健康保険限度額適用認定申請書に必要事項を記載して郵送した。
「難病申請の医療費助成制度」と「高額療養費制度(限度額適用認定証)」との関連性がいま一つ分からないが、こちらも申請しておこう。
2009.07.09
難病(特定疾患)申請[2]
7月中頃。
今日は、市の保健所に「難病指定」に関する書類を提出に行く。
朝一番に病院から、
1.「臨床調査個人票」と7.「患部レントゲン写真(今回はCD-R)」が送られてきたので、下記の書類を追加して、
2.「同意書」
3.「特定疾患医療受給者証 交付申請書」
4.「健康保険証のコピー」
5.「住民票の写し」(世帯全員で続柄の記載のあるもの)
6.「平成○年分の生計中心者の所得税額を照明する書類」(つまり源泉徴収票)
保健所に提出に行く。
CD-Rを自分のパソコンで見てみたが、やはり圧迫されてるなぁと今更ながら感じる。前回と同じ職員さんだったので、すんなり受け取ってもらえた。2カ月程して何もフィードバックがなければ、県の担当課の方に連絡するようにとのこと。
3.「特定疾患医療受給者証 交付申請書」の控えを頂き帰宅。
2009.07.16
限度額認定証[2]
7月中頃。
今日、健康保険組合から「健康保険限度額適用認定証」が速達で届いた。
個人情報保護の観点から画像に一部加工を施しております。
有効期限は12/31となっているから、今年いっぱいということみたいだ。「健康保険限度額適用認定証」の解説冊子が一緒に入っていたので読んでみた。
<回顧録>.....限度額認定証
限度額認定証は、病院窓口での支払いを少なくするためのもののようです(事前に窓口へ提出)。つまり、医療費が入院・手術等で高額になることが見込まれる際に事前に役所で申請をし許可が下りれば、限度額認定証をもらうことができるとのこと。
また仮に事前の発行が難しくても、一旦窓口で自己負担分(例えば3割負担であれば3割)を支払いますが、後日「高額療養費制度」で返金される仕組みとなっているようです。
正直この制度は有難いです。父が入院した際に利用させてもらったことがあるのですが、相当助かりました。窓口での支払いはなるべく少ないに越したことはありません。余裕のある人は窓口で3割負担分(会社員など)を支払い、後に還付を受けるというケースもあるでしょう。まあ私などは、なかなか纏まった金額を窓口で支払うことには抵抗があるのですが...。
2020年発売の映像作品。これまでのライブ(2000年、2010年、2014年)からの映像を編集した全18曲を収録。キャリア初の映像化作品ですので貴重であり宝物の一枚。旦那様との対談、これまでのジャケ写の圧倒的存在感は必見。他にも貴重な映像が満載です。デビュー初期を除いて、ほとんどメディアに出演することなく活動しつつも、輝かしい楽曲の数々を生み出しています。"シンガーソングライター"としても"メロディーメーカー"としても傑出した才能に脱帽。耳に残る旋律、心に染みる言葉、切なげと明るさを兼ね備えた歌声、すべてが魅力的。
1986年の他アーティストへの提供楽曲。後にセルフカバー。1987年にシングルとして発売。マイナー調のメロデイーラインが冴え渡っていて、アレンジワークも秀逸で尋常ではない気がします。表情の多彩さに惹きつけられる。レザー系の衣装が印象的。主人公の心情と、カメラアングルが頭に浮かぶような情景描写の歌詞は、上質な映画を一本観たような感じで言葉が出てこない。情感あふれる歌唱が、私を惹きつけて離さない。
心の底から"良い曲"だなぁと感心と感嘆。あまたあるマイナーコード系の楽曲の中でも、そのクオリティは屈指だと思っています。決して、忘れることなどできない楽曲。
手術日へ向かって...
2009.08.25
術前検査と手術説明等
8月下旬頃。
手術予定日より約1カ月前のこの日は、手術前の検査を病院で受ける。
受付を済ますと心電図、CT検査を実施。今日は検査だけかと思ったら、先生から手術の説明があるとのこと。
診察室へ。
足の脱力感と右手のぎこちなさを再度伝えた。足の腱反射は少し亢進しているとのこと。手のしびれは今まで全くないことを伝えると、少し怪訝そうな感じ。通常、骨化は少しずつ確実に増えていくのでやはり手術した方がいいとのこと。脊髄の周りを満たしている脳髄液が少し薄くなっているらしい。骨化が進むと脳障害も出てくる場合もあるとのこと。
ビックリだし、ちょっと怖い...
手術は、首の前方を切開し骨化部分を取り除いてから2椎間をプレートで固定するとのこと。手術のリスクについては、0.2%くらいの率で歩行困難な場合があるそうだが、「車椅子になる不安があると思いますが、あなたの場合はそうならないと思います」と、心強く有難いお言葉。
正直それが一番不安だった。
入院は1週間。歩行は手術翌日から可能。"2週間目には職場復帰できるので、バリバリ働いてくださいね"とのお言葉も。また首の動かし方に制限はなく、スポーツもOKらしい。さまざまな画像を組み合わせて、家族に懇切丁寧な説明をして下さった。
診察終了後に一般採血検査をした。
お薬手帳も提出した(コピーをとっていた模様)。
続けて、看護師さんに個室と大部屋のどちらがいいか希望を聞かれ、迷った末に個室をお願いした。前の大学病院では4人部屋だったから、今度は個室にしようと思ったのだ。シャワー室、トイレ、手術待機室、カンファレンスルーム等をくまなく説明して下さった。
手術の開始時間は、3,4日前に自宅に連絡をくれるとのこと。
最後に会計を済ませ帰宅。今更だが、「ホントに手術するんだなぁ」と心構えができたと思う。
<回顧録>.....顕微鏡下
手術は「顕微鏡を用いた頚椎前方固定術」でした。
頂いた書類には、
・変形性の頚椎の病変に対する小浸襲手術
・チタンゲージや人工骨を用い採骨術のない手術
・2椎間までの頚椎病変に適応
・手術翌日から歩行可能
・1~2週間の入院
と書いてあった。
ずいぶん昔だが、叔母さんが腰のヘルニアで手術したときは、事前に自分の腸骨を採取してそれを埋め込む方法だったと記憶しています。自分の骨だから、こちらの方が身体には優しい気がするのですが、私のような2椎間の場合は、手術箇所が広いから向かないのかなぁ。
ここら辺はよく分かりません。
個人情報保護の観点から画像に一部加工を施しております。
後日電話があり、手術は一番目で8:30に麻酔をかけて9:30から2時間程度を予定していますとのこと。
前日に入院したのですが、昼食を食べてからの受付。
基本的に、手術1カ月前から禁煙と言われていたのですが、なかなか難しかった旨を話したら大抵の人はそうですと言われホッとしました。(先生申し訳ありません)
2009.09.28
今日から入院。入院1日目
手術前日。
今日から入院である。
14:00到着。受付を済ませると入院生活の説明があり、呼吸機能検査、胸部レントゲン、体重測定を実施した。
夕食後に会議室で、先生から実際の手術映像を交えながらの説明を家族とともに聞く。C4/5 C5/6の2箇所を削りチタンゲージで固定するとのこと。手術承諾書、DVD録画承認書(手術の様子を録画すること)にサインした。
夕食は食べてよいことになっていたが、あまり食欲がなかった。21:00就寝。ようやく明日手術...。不安も迷いもない。ほぼ無心。例えは悪いが"戦地に赴く武将"のような心境だ。
<回顧録>.....人生初の手術へ
これまで、大きな病気をしたことがありませんでした。手術は初めてですし全身麻酔はどんな感じなのだろうと不安でした。まず意識がなくなることが怖いです(睡眠以外で)。それなのに日記に「不安はない」と書いたのは、私の強がりに加えて自分にそう言い聞かせていたのだと思います。
入院時の持ち込んだ一覧表が手元にありますので、記載しておこうと思います。
・入院誓約書
・保険証、診察券
・印鑑、保証金
・入院証明書(加入している保険会社のもの)
・洗面用具(歯ブラシ、シャンプー、石鹸、ヘアブラシ、電気髭剃り)
・コップ、スリッパ
・ティッシュペーパー、手ぬぐい2本、タオル2枚、肌着6着
・携帯電話、携帯ラジオ
・メモ帳、ボールペン、お守り、腕時計
・お財布(現金はお札と小銭)、交通系カード、腕時計
私は肌が弱くクリームを付けて髭をそることはしていませんでした。電気髭剃りはだいぶ前から同じもので、充電式のパナソニック メンズシェーバー 回転刃 黒 ES-KS30-Kが一番使いやすく、肌荒れもせず気に入っています。
また、父が携帯用にと、もっと小ぶりの電気髭剃りをくれました。
出張の際などに持って行ってるそうです。(パナソニック スピンネット・リチウム シルバー調 ES6801P-S)こんなものがあったのか、ありがとう。病気になってから家族の優しさを感じる日々が多くなりました。普段は面と向かって言えないけれど、心の中でいつも想っています。
後に、入院慣れしている知人に聞くと、入院するたびに持ち込む品数は減っていくそうです。旅行慣れしている人が、段々荷物が少なくなっていくのと同じ感じ。初めてだから、書かれているものすべて詰め込みました。
- 今だから (松任谷由実・小田和正・財津和夫)
1985年の三人のコラボシングル曲。レコード盤発売のためCD化されていないのが極めて残念。いつの日か、CDか何かが発売されるのを熱望しております。昔録音したカセットテープが擦り切れそうです。大好きな一曲。リズミカルでテンポのいい楽曲。"教授"が担当したアレンジも洒脱。3人の声がそれぞれ個性的に輝いており、歌詞の"歌い分け"のバランスが絶妙。サビの切り裂くような高音にも身震い。才能が結集しています。豪華の一言。
私が唯一ファンクラブに入っている小田さんのコラボが忘れられない。
ともにバンド出身のお二人。イントロの鍵盤の音色がグッとくる。味わい深いものがある。オリジナルよりもかなりテンポを落とし、アレンジもしっとりと静かめ。二人を交差して収めるアングルが印象的。ピアノを弾きながら放つ硬質なハイトーンに対し、まろやかな味のある声で応える歌唱は、あたかも二人が会話しているようだ。私のお気に入りの曲。(2004)。※
2009.09.29
手術当日。入院2日目
6:00 起床。
久しぶりにグッスリ眠れた気がする。
7:30 先生が病室に来た。「やはり右足の亢進が進んでるし、両手が痩せてきているねぇ。」とのこと。
手術着に着替えて、血栓防止のストッキングをはき、T字帯を装着。
8:00 麻酔医の先生が来た。術前の検査は全く問題なかったとのこと。そのまま病室でストレッチャーに横になり、安定剤の点滴を入れ始める。
その後、手術室へ。
手術室にはモニターがあり、そこには見学している家族がいた。看護師さんに、みなさん手を振ってますよ。応えてあげたら?と言われたところから記憶がない。説明では、手術室に入る直前に麻酔導入薬を点滴に注入しますとのことだったから、すぐに効いたみたいだ。
"術後回復室"で最初に目覚めたとき、朦朧とした意識の中で「何時ですか?」と聞いたら、「11時30分ですよ」と言われたような...
家族に聞くと、どうやら予定通り、2時間ほどの手術だったようだ(9:30頃から点滴を入れますという説明だったから)。
"手足を動かしてみて"と言われ動かしてみた。問題なく動いた。
手術前に自分の中で決めてたこと、それは術後すぐに両足の指を動かすことだった。少しホッとした。
その後は、そのまま16:00頃まで眠っていたようだ(事前説明では回復室に3時間ほどいて、酸素吸入、心電図、酸素飽和度のモニターを付けると聞いていた)。気が付くと酸素マスクと、首から血を抜くドレーンがついていた。その後は歩いて病室に戻り、尿量を図る。750mlだった。
また点滴しながら眠り、21:00頃目覚めた。首全体(切開したところではなく)と肩が痛い。気が付くと湿布がバリバリ張られていた。無意識に訴えたのかもしれない。
のどが痛くツバが飲み込めない。
手術直後から抗生物質と鎮静剤の点滴が入っているはずなのだが、痛い。のどが渇いたので水を飲みたいと看護師さんにお願いしたのだが、お腹の動きが戻るまではダメとのこと(これも事前に言われていたことを思い出した)。
足首の下のしびれと右足のつっぱりや腰痛は、少し改善されたように感じる。
<回顧録>.....首と喉の痛み
首の左側を切開したので、手術中は右側に首を曲げて固定していたそうです(家族談)。術後の検査結果画像はこちら。
ですから当然なのですが、変な姿勢でしたから右側が特に痛くて仕方ありませんでした。ただ、切開部分は全く痛みを感じなかったです。看護師さんに湿布をもらって暫く貼っていました。
あと喉の痛みですが、切開して骨化部分に辿り着くためには、食道を脇に寄せて進むのだそうです。そのため喉が痛くてツバを飲み込むことすら困難で、これが一番キツかったです。
しかし無事に終わって本当に安堵しました。先生や看護師さんたちに感謝。
2009.09.30
術後2日。入院3日目
眠れず徹夜状態。
7:10採血、熱は37.5。少し熱があるが、聞いたら"術後にはよくあるんですよ"とのこと。
7:30先生の回診
首のドレーンを抜いてもらった。「骨化は全部ちゃんと取り切ったよ、かなり骨化部分が圧迫していたから、長い間圧迫していると戻りづらいけど、まだ若いのでだんだん良くなってくるよ」とのお言葉。
また、"良くなったり戻ったりの繰り返しで良くなってくると思う"とも仰っていた。
先生はいつも前向きな気持ちにさせてくれるので、私も元気が出てくる。先生の言う通り、これから頑張らねばと気持ちを新たにした。今日から3日間、抗生物質(痛み止め、痰止め、胃薬、筋弛緩剤)の内服開始。しかし、首をまっすぐにすると痛い。喉の痛さも相変わらず。
8:15、朝食、あまり食べられなかった。
8:25、麻酔医の先生がきた。"のどの痛みはだんだん良くなってきますので"とのこと。湿布は貼っておいた方がいいとのお言葉も。
9:00~9:40、抗生物質の点滴開始。薬を飲む。
12:00、昼食後、薬を飲む。
18:00、夕食後、薬を飲む。
21:00、就寝。
手術翌日だからキツイのは百も承知だが、食欲がないのは残念。
<回顧録>.....飲み薬開始
今日から飲み薬が始まりました(痛み止め、痰止め、胃薬、筋弛緩剤)。
毎食後です。ただ喉が痛いので、薬を飲むのも一仕事。薬を飲むには、食べなければなりません。普段ならば何てことはないのですが、それが難しい。
お薬を飲むのを手助けしてくれるこちらの商品( 龍角散 らくらく服薬ゼリー チアパック レモン味 200g×3袋セット PR)が、当時あったらなぁとつくづく思います。今でも薬の服用時には、よくお店にあるゼリー状の吸うタイプのもの(商品名は控えます笑)で、流し込んでいます。
食べたり飲んだりすることが、実はいろんな筋肉を使っているのだなぁと、改めて人間の体の凄さを感じたりしました。"健康時には感じないことを感じる"、これも、人としての成長の一部なのかもしれません。
人生初の手術が終わったわけですが、術中は無意識ですので問題ありません。意識が戻ってからが勝負なのだと実感しました。時間は短くとも大きな手術ですから、身体には相当負担が掛かっていると思います。この体験から思うことは、高齢になってからの手術はキツイだろうなということ。そのために、日頃から体力維持に努めたいと感じました。
- TM NETWORK THE SINGLES 1 (TM NETWORK)
2008年のベストアルバム。シングル全15曲が収められています。新しい"打ち込み"サウンドを引っ提げての登場は、当時の誰の心にも"新しい何か"を感じたことでしょう。ボーカルの歌唱力も特筆すべきものがありました。十二分に満喫できる一枚。
1988年のシングル曲。ドラマ主題曲。リアルタイムに観ていました。スピード感ある楽曲でサビのフレーズとアレンジもカッコいいです。歌声にも惹きつけられます。
学生時代からカラオケでよく歌っていたのですが、社会人になり同僚の子と行くと、いつもこの楽曲を歌ってとせがまれたことを懐かしく思い出します。この楽曲はキーが高くなかなか出なくて、苦し紛れにシャウトしていた記憶。
2009.10.01
術後3日。入院4日目
まったく眠れず完徹。
6:00、便秘薬をもらう。
7:50先生の回診
「今日が一番痛いと思うけど、だんだん良くなってくるよ」「左側がかなり圧迫されていたからね」とのお言葉。どうやら、手術中の体勢の問題だけではなさそうだ。足の症状はあまり変わらず。左肩と首をまっすぐにすると激痛。腫れもないため首のガーゼをとった。
午後近くの本屋に外出して、立ち読みしながらお気に入りの推理小説を一冊買った。
やはり、外の空気はおいしい。
最初のうちは意外と歩けるなと感じだが、病院内をスリッパで歩くのとは違って、歩道のアスファルトの上を靴で歩くのは重たく感じる。自分の足が万全でないからか、通り過ぎる人の歩くスピードが早く感じられる。いや、私が遅いのだ。
16:00、
首のレントゲン、CTを撮った。説明は翌朝の回診時とのこと。
今回の入院のためにと、小ぶりのお財布を買っておいた。今までは長財布を使っていたのだが、小銭とお札がそこそこ入りそうな、ファスナー付の小さめの皮財布を買っておいた。今では皮も馴染み、色もいい感じに味が出てきて満足。特に皮物が好きというわけではないのですが、これはイイ感じ。
<回顧録>.....首の縫合
今回の手術では、首の切開部分は糸で縫合はしませんでした。ですから抜糸がないということになります。後で先生に聞いたところ、ホチキスのようなもので止めるのだそうです。止めた糸らしきものは、時間が経つと体の中に溶けていく?感じらしい。
よく分からないのですが、痛いことが一つ減ったことは良かったと思います。
昔、親戚のおばさんが手術したときに、抜糸を痛がっていたのを覚えていたのです(ウン十年も前の話ですが)。ですから、今は首の傷はまったく分からなくなっています。
2009.10.02
術後4日。入院5日目
夕べから眠れない。 (でも1時間ほどは寝たか)
睡眠導入剤をもらった。
時計を見ると、朝の3時。
3:30、
首痛にて眠れない旨を伝えたら、点滴をして下さった。何の点滴だろう?とりあえず、少し楽になった。
7:20、先生の回診。
「レントゲン、CTともに問題ないよ」とのこと。ひと安心。足の方は、やはり時間がかかるかもとのことで、長丁場の闘いが始まった気がした。退院は3日後くらいでいいでしょうとのこと。
<回顧録>.....患者さんたちと
のどが渇くと、自動販売機に行って飲み物を買って飲んでいました。そうすると、同じように手術した患者さんがチラホラ来ます。自然と「どこ手術したの?」「退院はいつ?」という話になって、みんなでツラさを語り合っていました。若い人から年配の方まで、仕事もいろいろ。自分だけじゃないと思うと、自然と落ち着いてくるのが分かりました。
「まだ若いんだから大丈夫だよ」とみなさんに声をかけてもらい、どれほど励まされたか分かりません。感謝です。
会話することの大切さ、声を出すことの大切さを実感しました。
ただ、やはり、個室は淋しいものです。これで4人部屋も個室も経験したわけですが、一長一短です。テレビは自由に見ることができましたが、やはり飽きてきます。一人暮らしのお年寄りが増えてきている昨今、話し相手がいないことがもたらすデメリットを、少しだけ体感したように思います。
- 個人主義 (小田和正)
2000年のオリジナルアルバム。CMソングから番組テーマ曲までと、幅広く耳馴染みのある楽曲が揃った一枚。難しい言葉ではなく、誰もが分かる、平易な言葉だからこそ伝わるであろう奥行きの深い歌詞の数々。印象に残るサビのメロディーラインの数々は流石の一言。
このアルバムの中で、とりわけメッセージを強く放っていると感じるこの楽曲。語りかけるような歌詞と揺るぎない声。胸が高鳴りました。高低の幅広い音域を自在に行き来するそのクリアな歌声は、一貫して魅力的。
団塊世代の青春期、つまり1970年頃の様子は映像などで見たことがあるに過ぎません。学生運動や若者のフォーク人気など、今とは違う若者の力があった時代といっていいと思うのです。時代が違うとはいえ、自分の青春時代はどうであったか、これからの若者の青春時代はどうなのかを考えさせられる、私の中ではそんな一曲となっています。
2009.10.03
術後5日。入院6日目
特にやることがない。朝食もかなり残してしまったら、食べなきゃダメですよと看護師さんに叱られてしまった。内臓系の病気ではないのだから、その通りなのだ。
少し動いてお腹を空かせようと思い、ナースステーションに行って外出する旨を伝え、外に出ることにした。歩くといっても、そう遠くへは行けない。またまた駅の近くの本屋に入り、ぶらぶら立ち読みしたあと週刊誌と経済新聞を買って戻った。
昼食は、何とか食べきれた。それを見て看護師さんが、「やっぱり動いた方がいいですよ」との有難いお言葉。夜は、病棟の廊下を歩いたりテレビを見て過ごす。
<回顧録>.....高額療養費制度
高額療養費とは、"公的医療保険"制度の中のひとつ。
国民健康保険(個人事業主など)、協会健保(主に自前で健保組合を持てない中小企業など)、健康保険組合(会社や業界などの)、共済組合(公務員などの)が窓口といえると思います。
医療機関の窓口で支払った医療費の自己負担分が、診療した月の1カ月(
70才未満の人は事前に申請すれば、
「限度額適用認定証」が発行されて、病院窓口では限度額までの支払ですませることができるという感じ。
こうした制度があることも知りませんでした。
やはり、自分から積極的に情報を得るようにしないとダメだなと思いました。
手術や抗がん剤治療、放射線治療、人工透析等々、医療費が大きくなればなるほど、生活及び家計への負担は増していきます。せっかくサポートしてくれる制度があっても、それを知らないで使わないというのは悲劇的だと思うのです。誰かに相談すること、聞くこと、を躊躇わない姿勢を持ちたいものだと感じます。
私の場合は「限度額認定証」を発行してもらいましたが、諸事情により使うことなく後日会社からの振込みとなりました。だいぶ助かったと記憶しています。
2009.10.04
術後6日。入院7日目
今日も予定はないので、家族が持ってきてくれた雑誌を読んだり病院の外を散歩したりして過ごす。
個室は気兼ねがない代わりに、やはり退屈で寂しい...
入院バッグの底に入れておいた、一冊の本を引っ張り出し読みだした。これまで、何十冊も彼に関する書籍は読んできた。生誕100年のときには、花巻の宮沢賢治記念館にも行った。
難解な作品が多く、いろんな角度からの読み解きや解釈がなされてきたが、この本は、別格。すべてが解明されたかのように思わせる、反証の隙さえ与えない精緻にして緻密な論理構成に感動した。難解な多くの作品群が、容易に読み解かれていくかのよう。今でも、この論が、最も彼の実像に迫ったものだと確信している。感動と感銘。
<回顧録>.....指定難病医療費助成制度
頚椎後縦靭帯骨化症は、指定難病医療費助成制度を活用できるケースがあるようですが、運営主体が都道府県ですので、申請条件や申請手続き、詳細内容も都道府県によって異なっているようです。自分の居住地の都道府県のウェブサイトをよく見ていました。
私の場合は、「特定疾患医療受給者証」を発行してもらうことができ、非常に経済的に助かったと思います。
こうした行政の制度は様々な給付サービスとリンクしていたりして、なかなか複雑です。分かりにくい側面があるのも否めません。ですが、自分のことですので情報の収集や理解しようとする心構えが必要なのかもしれません。このときに利用した制度については最後の方で書きます。
2009.10.05
術後7日。入院8日目
今日は退院日。
11:00会計を済ました。窓口では3割負担の金額を支払ったのだが、いろいろあって結局「限度額適用認定証」は使用しなかった。
一路自宅へ。
入院期間は8日間だったが、とても長く感じた。
病院からほど近い場所に、蕎麦屋さんがありました。病院を出たのがお昼前でしたので、家族で食べて行こうと。ものすごく混んでいて、繁盛しているなぁと感心。家族分の席が空くまで、40分くらいは待ったでしょうか。無類の蕎麦好きを自認している私としては、待つのみ。美味しい。最後の"そば湯"を、残りのツユに入れてもらうのが好きで堪らない。
<回顧録>.....術後のリハビリ
退院後のリハビリについて、お話がありました。
"普通の日常生活はしていいよ"とのことで、物を運ぶ時には20kgくらいまでならOKとのこと。また運動制限としては、手術後1週間後は通常時の50%くらい、1カ月後は75%くらい、3カ月後はすべての運動がOKとのこと。ただし、首の牽引や首を後ろにそらし過ぎないようにとのお言葉も。
つまり首に負担を掛けすぎてはいけないということなのですが、逆に今は怖くて出来ないと感じました。
また、ストレッチ、手足の筋力トレーニングは週3で40分くらいやったほうがいいとのことでした。
最後に、我慢できない痛みや足の麻痺、高熱、飲み込めないなどの症状が出たらすぐに来てくださいと仰って下さいました。手術直後は大丈夫でも、少し時間が経ってから症状が出ることもあるからとのこと。あれだけ大きな手術をしたのですから、何でも起こり得るかなと思ったりもしました...
(1週間の入院で、支払額は3割負担で、ざっくり70万円くらい)
- 40周年記念ベストアルバム 日本の恋と、ユーミンと。 (松任谷由実)
2012年のベストアルバム。これまでのシングル曲にとどまらず名曲ばかりの全46曲。どの楽曲も煌めいていて新鮮さを失わないものばかり。キャリアが長く、ずっと第一線で活躍し続けているのですから、どの楽曲を収めてもベスト盤になると思っています。世間一般的によく知られている楽曲が多いと思いますが、それだけではない凄さ。到底語りつくすことは困難の極致。曲数のボリューム感以上にその才能に感嘆と脱帽です。
1973年の旧姓時代のアルバム収録曲。明るい曲調の楽曲も素敵ですが、こうしたマイナー調の楽曲こそが真骨頂ではないかと思ったりします。哀しくも瑞々しい歌詞に切ないメロデイー。この世界観をあの若さで作り出すのは、やはり天賦の才能なのだと感じます。目に浮かんでくる情景描写の作詞力とメロディーメーカーとしての優れた才能には、もはや語るべき言葉は見つかりません。
私が唯一ファンクラブに入っている小田さんのカバーが忘れられない。
秀逸の一語。心が震えた。哀しげな表情を捉えるカメラアングルがたまらない。幻想的なライティング。天井からピアノへ流れ込むカメラワークは流麗で、この楽曲の世界観そのもの。大サビでの一段上に上がる高音のハイトーンは強烈無比。(2001)。※
2009.10.15
県からの書類がきた
10月中頃。
県から以下の書類を郵送で受け取った。
1.「特定疾患医療受給者証」
2.「様式題8号 特定疾患医療費給付申請書(払戻請求書)」
個人情報保護の観点から画像に一部加工を施しております。
3日後に、これらを病院に提出に行った(個人情報なので、郵送ではなく持参してほしいとのことだった)。
今日はとても疲れた。
体力の減少を痛感。少しずつもとに戻さなければ!!
<回顧録>.....払戻請求書
「払戻請求書」の記入必要事項欄を、病院側で書いてもらいました。これは「特定疾患医療費給付」のものです。
それを都道府県に送付したのですが、提出してから振り込まれるまで、ざっくり2カ月くらいかかったと思います。また私の要領が悪くて、会社の健康保険組合の担当の方、都道府県の担当の方と、何回かやりとりをしたのを覚えています。
痛感したのは、分からないことは直接聞いた方がいいということでした。行政側も親切丁寧にこちらが理解するまで話してくれました。随分助けられました。
2009.10.22
病院からの書類がきた
10月下旬頃。
病院から以下の書類を郵送で受け取った。
1.「様式題8号 特定疾患医療費給付申請書(払戻請求書)」
病院に持って行ってから4日で送られてきたのだから、早い対応だ。
すぐに県のほうに郵送にて提出。
だいぶ傷跡も薄くなってきた。(首の左側を切開)
↓
<回顧録>.....悩ましい手術時期
いろんな先生に出逢って、"手術時期"というものを考えるようになりました。当然、症状が重く緊急性の高い状況であれば、手術は当然の選択だと思います。ただ私の場合はどうなのか。
"まだ手術しなくても"と、手術したほうが"と複数の意見が出た時には、やはり自分の明確な意思表示をする必要がありそうです。ただ経過観察を押し切って無理に手術をお願いするのは、どうも違うとも思いますし、手術を勧められている状況で、絶対しない!と突っぱねるのも違うと感じます。
私は医学的には素人ですが、対する先生方はプロです。病態や症状によってはベストな手術時期というものがあるのかもしれません。非常に悩ましい問題。年齢が上がれば、やはりリスクも高くなると思います。
私は比較的体力のある若いうちに、手術したほうがいいのではという考えでした。結局、これに対する正解はないのだと思っています。様々な情報や意見を取り入れたうえで、自分自身が判断したことに後悔はないです。今後もそうしたいと考えています。
2009.11.05
術後1カ月
退院して一ヶ月。
首の痛みはほとんど気にならないくらいで、まあまあである。退院のときに痛み止めと胃薬を1.5カ月分もらったのだが、飲まなくても大丈夫なくらいにはなってきた気がする。
・右足はいまいちだけど、手術前よりは少し歩きやすくなったような感じ。
・足裏のじんじんしたしびれも、これはだいぶ軽減されているな。
・のどの違和感は、かなり改善されている感じ...まあ問題なし。
近所の方からは、「歩き方がだいぶよくなったみたいね」と言われ、ちょっと嬉しい。何より気にして下さっていることが有難かった。
手術のDVDはまだ怖くて見れてない...
もう少し落ち着いたら見てみることにしよう。
<回顧録>.....やさしい先生
この時点で、この病気が判明してから長い年月が経っています。そして、ここのコラムには書きませんでしたが、その間、精神的に不安定になりお薬を処方されたこともありました。そうした事実と苦しんだ気持ちを、先生にお話ししました。先生は黙って頷いて聞いていてくれました。
一通り話し終わると、「病気が分かったその日から、あなたの人生が変わったのですねぇ、辛かったでしょう」と、先生。
心の中で泣きました。
1991年ベストアルバム。スペシャルユニットによる楽曲のベスト盤。参加している同系列のグループ系のアーティストたちの結びつきの強さを感じるのは私だけでしょうか。どれも名曲揃い。
1988年の1枚目のシングル曲。爽快感いっぱいのアレンジと、流れるようなメロディアスな旋律が印象的。各々のボーカリストの歌声にパワーがあり、伸びのある高音が心地よく響きます。コーラスも清涼感いっぱい。真夏の白い砂浜が目に浮かぶよう。サビの"3音"のインパクトが強烈。
とにかくキラキラした夏のイメージ。文化祭での思い出の楽曲。踊りが苦手な私にとっては、よく叱られながら練習していた。指導してくれた1つ上のポニーテールの先輩。憧れの先輩に近づけたときのドキドキ感の記憶。大好きな一曲。
術後の状況
2009.11.30
退院後初の診察(術後1カ月半)
14:00に受付。
特定疾患医療受給者証は、受診時に毎回必要とのこと。知らなかった。持参してこなかったので、帰宅したらFAXすることで了解してもらった。
今日は、レントゲンとCTを撮った。どちらも問題なく、ボルトが緩んでいることもなかった。ひと安心。「骨化部分は完全に除去できてるし、もう何をしても大丈夫」とのこと。手足の反射も問題なし。
術前のストレートネック(首の骨が真っすぐなこと)が、緩やかではあるが、S字カーブっぽくなっていた。
思い出したのだが、これまでの3つの病院すべてで、私の首がストレートネックだと指摘されていた。それゆえに、首の負担が正常な人より大きく、首こり・肩こりが頻発していたのだろう。
このストレートネックは、遺伝的なものなのかなぁと思った。先生いわく、神経は1年?で1mm程度伸びると考えられているので、私の場合は4、5年かなとのこと...
次回の診察は半年後。
以前、父が肩こりで悩んでいたときに購入したものがこれ( 【Amazon.co.jp 限定】桐灰化学 あずきのチカラ 首肩用 貼る命の母カイロ1枚付き 100% あずきの天然蒸気 チンして繰り替えし使える 1個 PR)だったと思う。
"あずき"の入った布袋を電子レンジで温めて、それを首周りに被せるというものだが、なかなか気持ちがいい。首筋の血行の悪さは、首痛や頭痛に繋がっていると感じていた。今でも、低気圧が来ているときなどは、痛みがでることがあるのだが、そんな時に大活躍しているのだ。
<回顧録>.....ストレートネック
ストレートネックとは、首の骨がまっすぐになっていることです。先生いわく、生まれつきのもので遺伝性が高いとのことでした。一般的に人の首の骨は、緩やかなS字カーブを描いています。これにより"重たい"頭を弾力的に支えているということになります。
一方、首の骨がストレートだと、
私の場合も、おそらく生まれつきなのかもしれません。何故かというと最近、家族が"首が痛くて病院にいって検査したら"ストレートネックと言われたよ"と聞かされたからです。やはり遺伝性だと推測できそうなのですが、当人は骨化症ではありませんので、そこは"謎"です。
手術したことにより、どういう理屈だったかは忘れましたが、段々とS字に変化していくのだそうです。人間の体は不思議。
2010.04.05
術後半年
14:00に受付。
久しぶりの診察。首のMRIを撮ったが問題なし。
"力は十分あるよ、感覚の違和感は時間がかかるので、焦らずゆっくりとね"とのことだった。次は1年後だ。
ただ、体力が明らかに落ちてきていて、疲れやすくなっている。20代の頃は、"飲み"に行く前に、ドラッグストアで必ずこの健康ドリンクを一本買って飲んでいた。それを思い出してから、週1くらいの頻度で飲んでいる。今は、ケース買いなのだが。
あと、活力を維持するために、『
紫イペカプセルDX 250粒PR』というサプリメントも飲み始めました(これは今でも家族で飲んでいますが)。効いているかどうかは分かりませんが...。
2011.04.05
術後1年半
MRIを撮ったが問題なし。次は1年後だ。
2012.04.05
術後2年半
MRIを撮ったが問題なし。もう診察に来なくても大丈夫だねとのこと。一区切りがついたと思う。
<回顧録>.....日常生活
これで、この病院に定期的には来ることがなくなりました。
この頃になると、だいぶ症状も軽快してきていたと思います。最初は階段を降りるのが怖く、手すりに掴まりながらでした。車も2カ月は乗ってなかったので、物凄く緊張していたためか、どこかぎこちなさがあったと思います。
車といえば、バッテリー。家族に、私が乗れない期間チョコチョコ動かしておいて、と頼んだのですが、家の車は小型車。怖くて無理と断られ諦めていました。案の定、エンジンがかかりません。ディーラーさんに来てもらって交換したのですが、取り外すと"盗難防止装置"の警告音が近所中に鳴り響き、ご近所さんが飛び出してきてビックリ。
バッテリーと繋がっているのを初めて知りました。
美容院でも、頭を洗う際に仰向けになるのが怖くて、いろいろ工夫して頂き、ご面倒をかけてしまいましたが、有難く思っています(長い付き合いのおかげかな)。
今ではそうしたことは皆無ですが、思い出のひとつ。
- 中山美穂 パーフェクト・ベスト (中山美穂)
2010年のベストアルバム。デビュー曲から始まり、それまでのシングル曲を34曲収録。名曲の数々と活躍の歴史が詰まっています。バラードからポップな曲まで、いろんな面を見せてくれる、まさにベスト盤。
1987年のシングル曲。当時主演のドラマ主題曲。作詞作曲は、当時から人気のあった新進気鋭のシンガーソングライター。とても速いテンポの楽曲ですが、アレンジも含めカッコ良さは随一。歌番組で思い出すのは、激しめの振り付けをしながら生歌唱していた姿。輝いています。
このドラマ、ビデオテープに全話録画してあります。主人公が双子という設定から、一人二役の撮影に臨まれていて、スケジュール的に厳しかったのかもしれません。途中で入院され、放送日にはメイン出演者による特番が急遽放送されたのを思い出します。ほぼすべての楽曲を歌える私は、私の青春時代に欠かせないシンガー。
追記:
最終回のラストシーンからエンドロールにかけて流れた楽曲は、"名曲"。
2013.03.05
E総合病院へ 術後3年半
私は心配性だ。
今後何があるか分からないので、やはり病院とはつながっておきたい。自宅近くのE総合病院に行き、専門の先生を受診。ここにも、脊椎の専門部門があるのだ。
これまでの経緯を話し、こちらで定期的に診てもらいたい旨を話すと快諾してくださった。今度の先生も、とてもやさしく頼もしい感じ。私はやはり先生に恵まれている。一か月後くらいに、頚椎MRIと頚椎X線(レントゲン)、胸椎MRIを撮った。
個人情報保護の観点から画像に一部加工を施しております。
「首はとても綺麗だよ」とのこと。嬉しかった。
<回顧録>.....私の病院選び
ここで、これまでの私の病院選びについて書いてみたいと思います。
私は、臆病であり心配性な性格だと思っています。ですから、何かを選択する必要に迫られそうなときは、"自分の意思決定はこうする"というものを、事前に決めるようにしています。
首の病気もその一つです。
どこの病院にするのかという時には、病院名で決めたことはありません。
何故ならば"病院"という建物や看板が手術するわけではないからです(もちろん環境は大切ですし、有名な病院であれば、優秀な医師もいらっしゃるのでしょう)。
大切なのは、医師や看護師などの医療スタッフだと思っています。どんな外観でも、関係ないと思っています。もちろん建物も先生も素晴らしければ、それが最高です(かなり暴論ですが笑)。
発症当初、インターネットの中から「一般社団法人 脊椎脊髄病学会」のウェブサイトに辿り着きました。そこには、脊椎に関する「専門医」「指導医」といった経験豊富な医師を検索することができました。今でも(2020年現在)、指導医を検索することができるようです。
ここのサイトに掲載されている「専門医」「指導医」の情報も参考にしていたと思います。やはり、ある程度の経験を積んでいることは大きいと考えています。そして、もう一つの理由は、経験豊富な先生であれば、手術中に不測の事態が起きたときに適切に対応してもらえるかなとも思ったのです。
(これはまったくの私見ですが)
2013.11.05
術後4年
今日は、
頚椎CTと頚椎レントゲンを撮った。問題なし。
2014.03.05
術後4年半
今日は問診と触診のみ。問題なし。
2014.11.05
術後5年半
今日は問診と触診のみ。問題なし。
薬入れが必要だなぁと思い、いろいろ探しましたが、結局これ(
エスコ(ESCO) 4連 小物箱(ふた付) EA508MA-21A
PR)にしました。本来的な使い方は、工具箱っぽいのですが、薬入れにピッタリ。朝・昼・夕・就寝前と4つに仕切ることができるので良い感じ。フタにはシールか、油性マジックで書いています。
<回顧録>.....人に優しく
やはり、病院が家から近いというのは安心します。
脊椎科の待合室にいると、いろんな患者さんに出会います。杖をついている人、車椅子の人、頚椎カラーをしている人、みんな脊椎に疾患を抱えている人たちなのだと思います。
普通に歩いてそうに見える人もいますが、症状が表に出てる人ばかりではないので、どこが悪いのだろう?と思われがちです。
※
バス通勤をしていた時、残業で夜遅くなったときなどは、疲労困憊で我先にと席に座ろうとしていました。すると前の席の人が、吊革に手をかけている人に席を譲りました。私には普通に見えました。前の席の人は、その人が乗って来た時に足を少し引きずっていたのを見ていたのでしょう。
当時の私は、気付きませんでした。
その時の光景が今も焼き付いて離れません。
この出来事以来、気配りができ、声かけができる、"やさしい人"になりたいと強く思ったのです。
こうしたことは、普段から目配り、気配り、心配りを実践していないとスッと出来ないものです。自分のことで精一杯なときというのは、余裕がありません。どんなに疲れていたり、キツかったりしてもその位の余裕をもって過ごしたいと思っています。
- SINGLES (T-BOLAN)
1996年のベストアルバム。シングル12曲収録(実際には+1の13曲)。バンドの"イズム"を存分に味わえます。ロック調からパラードまでどれも心打たれる楽曲ばかり。最後まで聴き続けた後の充足感は、至福しかない。ボーカルの圧倒的な歌声と存在感、インパクトあるアレンジ、名盤です。
- Bye For Now
1992年のシングル曲。出だしのアレンジが重厚感に満ち溢れています。カッコいいロックバラード。魅力的なボーカルの歌声に酔いしれました。
学生時代、カラオケに行くと必ず歌っていました。サビのキーが高くてなかなか高音域が出ませんが、歌っていて気持ちいいのだから仕方ありません。私に大きな影響を与えてくれた大好きな一曲。
術後10年以上------ (2023.01現在)
10年以上たった今、問題なく歩けてるし手も使えている。車の運転も問題なし。
多少違和感を感じる時があるものの、日常生活には全く問題なし。ただ天気が悪くなると調子が悪くなるような気が。よく寒くなると古傷が痛むと聞いたことがあるが、低気圧と関係があるのかなぁ。
(あくまで私の個人的な感触・・・)
手術前は、やはり最悪のケースが頭をよぎり眠れない日々を送ったこともありました。ただ、術後はひたすらリハビリに励み良くなることだけを考えていました。他人と比較するのはあまり良くないことですが、自分はまだ軽いほうなのだと言い聞かせたりも。
今までの期間を振り返ると、首に負担をかけるような作業は控えた方がいいという結論。仕事でパソコンを使わないわけにはいきませんが、長時間同じ姿勢でいることを日々続けていると、だんだん調子が悪くなってきていました。30分くらいしたら立ち上がって軽いストレッチをしたりして身体の筋肉をほぐす重要性を身に染みて感じました。
これからも、定期的に検査はやっていきたいと思っています。割と神経質な私は、ちょっと首が痛いと悪化してるのでは?と考えてしまいがちです。有意義な人生の時間を過ごすための定期検査だと自覚しています。
父がくれたサングラス。白内障の手術をしてから使っていたと思うのだが、今では私が運転時に使っている。度付きのサングラスを作ればいいのだが、せっかくだから、コンタクトの時だけだが、大事に使っている。
<回顧録>.....振り返って
もし、この病気にならなかったらと考えるときがあります。
それまで、仕事でもプライベートでも"強く"生きてきたと思います。自分の意見を通したがるタイプ、他人の話はあまり受け入れない、仕事がテキパキできない人には強く言う等々あげればキリがありません。
全般的に相手を思う気持ちが欠落していたのだと思います。
しかし病気になり、自分が弱い立場になって思い悩む中で、ほんの少しだけ変わってきたとも思っています。歳を重ねて丸くなったということもありますが、あの調子でバリバリ突き進んでいたら、きっとどこかで行き詰っていたと思うのです。
もちろん、病気にはならない方がいいわけですが、病気になって初めて見えてくることが多かったのも事実。心身ともに健康であり続ける努力も必要かと感じています。長きにわたる体験記もそろそろエンデイングです。
追記:
この経験を糧にして一生懸命に、そして楽しく生きていきたい、そんなふうに今の私は考えています。
2010年のベストアルバム。デビュー曲から始まり、それまでのシングル曲をメインに28曲+3曲収録。歌唱力の高さが光っています。どの曲もそうですが、とりわけ前期の作品は、楽曲のカラーが際立ちその魅力を十二分に感じられるものばかり。考え抜かれたであうろアレンジの多彩さと、高音でも軽々と伸びていく歌声は傑出しています。また、一つではない多様な魅力を放っています。
- Believe Again
1988年のシングル曲。イントロのアレンジに惹きつけられます。当時主演の"ヨーヨーを使う"ドラマの第3弾の主題曲。低音もキレイに響かせる歌声は魅力の一つ。伸びのある歌声とビブラートの流麗さは、一段上のクオリティの高さ。溌溂としたサビで発する歌声はいつまでも耳に残っています。
このドラマのシリーズは最初から観ていたました。そして、私の人生で数えるほどしか行ったことがない映画館。この映画版は観に行きましたので、当時の映画館の外観を思い出します。また、やはり稀代の名アレンジャーの作品でもあります。
行政による医療費補助について
入院・手術を経験して、行政による医療費の補助制度があるということを知りました。
入院・手術には、やはり高いお金がかかります。一般的な病気の治療に比べて、普通の会社員にとっては負担が大きいと思います。そうした負担を軽減させるたるの助成制度について理解しておくことは、とても大切ではないかと実感しました。
そこで、私自身のケースを例にざっくりですが振り返ってみました。
◇医療費補助制度
結論から言ってしまえば、
「高額療養費制度」と「指定難病医療費助成制度」
というものがあったという事です。
高額療養費制度は、ある基準を満たした場合に支払うべき額の上限が決まっているというものです。基本的には後から還付を受けます。ただ事前に申請し「限度額認定証」をもらえた場合には、窓口で支払う金額を前もって少なくすることができます。
厚生労働省のホームページから、一部引用します。下記文書を引用致します。
医療費の家計負担が重くならないよう、医療機関や薬局の窓口で支払う医療費が1か月(歴月:1日から末日まで)で上限額を超えた場合、その超えた額を支給する「高額療養費制度」(こうがくりょうようひせいど)があります。
出典:「高額療養費制度について」(厚生労働省)(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryouhoken/juuyou/kougakuiryou/index.html)2020.03.07閲覧適用を受けるには、いろいろ条件があるようです。(割愛します)
(実際、父が入院・手術した際に申請して窓口負担を小さくした経験がありまして、かなり助かった思い出があります。私も申請して限度額適用認定証を頂きましたが、 結果としては使いませんでしたが...)
次に、指定難病医療費助成制度です。私のケースのように難病として指定されている場合、手術方法や術後の推移等が明確になっていないこともあります。そこで、経済的に支援することの必要性も生まれてくるのと思うのですが、私の場合も、後からの還付という形で助成して頂き、大いに助かりました。
厚生労働省のホームページから、一部引用します。下記文書を引用致します。
○難病法では、難病を「発病の機構が明らかでなく、治療方法が確立していない、希少な疾病であって、長期の療養を必要とする疾病」と定義し、幅広い疾病を対象として調査研究・患者支援等を推進している。
○さらに、同法では、難病のうち、患者数等の一定の要件を満たす疾病に対して、医療費助成を行っている 。
適用を受けるには、いろいろ条件があるようです。(割愛します)
そこで重要なポイントだと思うのが、「指定難病の医療費助成」(これを特定医療費と言うそうですが)と高額療養制度とは併用することができる場合があるということです。
私は、この二つの制度を利用しましたが、当時の私はこの仕組みを理解する余裕がなく、言われたように手続きしていました。数年たってから、ようやく勉強したという感じです。
特定医療費(指定難病医療費助成制度)の支給については、どう解釈すればいいのでしょうか。
厚生労働省のホームページから、一部引用します。下記文書を引用致します。
○特定医療費の支給に当たっては医療保険制度、介護保険制度による給付を優先する(保険優先制度)。
出典:「難病対策の概要」(厚生労働省)(https://www.mhlw.go.jp/content/000527525.pdf)25頁目;2020.03.07閲覧
つまり、
「保険優先」という考え方があり、最初に「高額療養費制度」を適用するということ。適用する制度には、順番があるということです。
社会保険制度は、社会的、経済的に厳しい立場になった人を支えるもので、とても有益なものだと思っています。その反面、多くのケースの助成があるが故にその仕組みが複雑化しやすい面も否定できないと感じています。
ですから、自ら情報を取りに行く姿勢が大切で、分からないことはどんどん聞いてみるということが重要なのだと、今回の経験を通して私は思いました。
病気になってから手帳では書ききれないことが多くなってきました。
さらに、いろんな書類を受け取ったり提出したりと、忙しくなってきます。そこで、一冊ノートを買って医療用にしました。ついでにノートカバーも購入しました。表紙と終わりの裏に、いろいろ紙を差し込めるタイプ、ゴム紐で止めるタイプのものを選びました。
(
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母には、家計簿用に色違いでプレゼント。大活躍しています。
2005年のシングルベストアルバム。デビューシングルから全23曲を収録。高音から低音までとても綺麗な歌声は、どの楽曲を聴いても唸ってしまいます。ファルセットも心地よい響き。いろんな表情の楽曲で埋め尽くされていますが、すべてに通底する"イズム"を感じることができる一枚。
2005年のシングル曲。ドラマ主題曲。ドラマのシーンと結びついて記憶しています。バラード系の楽曲のイメージが強いのですが、このアップテンポの"ポップス系の王道"的な楽曲もまたよく似合う。アレンジを含めメロディーラインも"キラキラ"しています。いろんな衣装姿を見せてくれているPVは傑作。
天性の歌声とメロディアスな旋律は、オリジナリティに溢れながらもどこか懐かしく感じられ、私の琴線に触れるのです。
◇私の場合の具体例
ここでは、今回の私のケースを例にして、計算にチャレンジしてみたいと思います。
条件や区分によって色々変わってくるので、ここでは手術当時の私の条件をあてはめて計算してみたいと思います。ただし当時とこれを執筆している2023年とでは制度の内容が若干変わっていますので、現行制度に当てはめていくことをご了承下さい。
(注)現行制度については、他の公のウェブサイトをご参照ください。
(2020年3月現在の制度上の数字を使います。手術代等は当時の私の実際額。)
- 70才未満←[手術当時、私は70才未満]
- 高額療養費制度の所得区分:ウ←[健保:標準報酬月額28万円~50万円]
- 医療費助成制度の所得区分:Ⅱ←[市町村民税7.1万円以上25.1万円未満]
(お断り)
以下の図表は、私が自分自身の理解のために作成したものであり、厚生労働省が作成したものではありません。ご了承ください。
私の場合、窓口での支払いは3割負担で約70万円くらいでした。しかし自費扱いの分も入っていますので、分かりやすく60万円と仮定してみたいと思います。よって3割で割り戻した総医療費(10割)は、200万円になります。
以下のようなイメージになるかと思われます。
窓口で支払 (3割負担) |
健康保険組合負担 (7割負担) |
---|---|
60万円 | 140万円 |
ここで、窓口で支払った「60万円」を区分けしていくのですが、そのために、
①高額療養費制度での「自己負担限度額」を算出します。
上記の条件(70才未満、所得区分ウ)の場合の計算式は以下のとおり。
自己負担限度額=80,100円+( 総医療費-267,000円 )×1%
この計算式の「総医療費」の所に「200万円」を入れてみます。
自己負担限度額=80,100円+( 200万円-267,000円 )×1%
計算結果は、「97,430円」です。
つまり、窓口負担の60万円は以下のように区分けできる感じ。
★ | 高額療養費での 還付金 |
---|---|
97,430円 | 502,570円 |
次に、この「97,430円」を区分けしていくわけですが、そのために、
②難病医療費助成制度での「自己負担限度額」を差し引きます。
自己負担2割なのですが、上記条件(所得区分Ⅱ)の場合は、20,000円となっています。
ここで、自己負担限度額の比較になり「2割負担(200万円×2割=40万円)」と「20,000円」の小さいほうを適用。ここでは、20,000円の方を適用という解釈になります。
よって、以下のように区分けできると理解できて、
★ | 医療費助成制度での 還付金 |
---|---|
20,000円 | 77,430円 |
結論としては、
最終的な「自己負担額」は、20,000円
最終的な「還付金合計」は、580,000円(=502,570円+77,430円)
となります。
当時の私の手術・入院費用と、高額療養費の還付金、難病医療費助成制度の還付金を見てみますと、だいたいこんな感じです。(私費分や差額ベッド代などがありましたので、ドンピシャにはなりません)
ちなみに、この手術の収支は下記のとおりです。
ただ、民間の医療保険や生命保険等からの給付金もありましたので、収支的には、若干のプラス、といった感じだったと思います。
追記:
行政には様々な制度が存在しています。それらを利用するには当然「知っている」ことが前提になると思います。では、知るためにはどうすればいいか。やはり、常にアンテナを張って情報を得る努力をすることが大切なのだと思っています。これだけネットが発達した現在ですから、医療のみに関わらず能動的に情報を取得して有効に活用したいと考えています。―(終)―
2012年発売。この音楽番組の"申し子"と言われ、1位になった回数も一番多いと思います。デビューシングルこそランクインしませんでしたが、それ以降は常連に。いろんなジャンルの豪華なシンガーソングライター陣による楽曲の多さは類を見ません。それを自分のカラーに染め上げています。少女から大人の女性に移り変わる成長記録そのもの。いろんな表情を垣間見ることができます。一曲に賭ける熱情に圧倒。魅力が凝縮されている永遠の名盤。
1983年のシングル曲。シンガーソングライターによる楽曲がとても多いですが、これもその一つ。低音域をしっかり歌唱できるのは最大の魅力のひとつだと思っています。そして柔らかさ、しなやかさ、強さを兼ね備えたバフォーマンスは、歌手というジャンルを超えて表現者。間奏のエレキもカッコよくキレまくっています。私の好きな稀代のアレンジャーの才能も散りばめられています。80年代歌謡を語るとき、絶対的に必要なシンガー。
低音域の魅力と凄みを感じさせるサビの声質は唯一無二。声に宿る情感の多彩さは、繊細ながらも激しさを兼ね備えています。惹き込まれて仕方がない...