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ましゃの頚椎後縦靭帯骨化症の闘病記...

作成日:2021.01.31
All written by ©masalifeclub

頚椎後縦靭帯骨化症(頚椎OPLL)と診断されて早くも10年以上が経ちました。読み方は、けいつい、こうじゅうじんたい、こっかしょうです。OPLL(読み方:おーぴーえるえる)は、「後縦靭帯骨化症」の英語表記の略。国内に100万人はいると言われています。

はじめに

診断された当初、一番情報が欲しい時に役立ったのは、やはりインターネットでした。「後縦靭帯骨化症」についての説明、手術方法、予後、闘病記などいろんな角度からの情報を得ることができたからです。ただやはり情報量は圧倒的に少なく、またどの選択が一番正しいのか、その判断に苦悩したのも事実。当時、書店に行って「後縦靭帯骨化症」に関する本を探しましたが、闘病記も含めてほとんど見当たらなかったように思います。インターネット全盛の時代だから、あえて本という媒体を通して情報を発信する必要性が高くないのかも...と思ったりもしました。

ただ、概略を知るために、一冊( 患者さんのための頸椎後縦靭帯骨化症ガイドブック―診療ガイドラインに基づいて PR)だけは購入して読んだと思います。比較的よく纏まっており、専門家の文献は貴重です。

そこで、私的には、時系列的な体験談を書いてみようと思いました。実際の体験者としての視点からこの病気を見つめなおす作業になったわけですが、当初は、医療についての知識は皆無でした。また大きな病気の経験もありませんでしたので、ある日突然「後縦靭帯骨化症」という病気に、しかも難病指定にもなっていると教えられて、少なからずショックを受けました。

ただ病気になってしまったのは事実ですから、それを経験する過程を、私自身の感情も含めて残しておきたいと強く思い始めました。今では、医療や福祉(具体的には社会福祉士)といった分野に強く関心を抱くようになり、病気を通じて、モノの考え方、見方がずいぶん変わったように思います。

そしてそれは、私にとって非常に貴重な経験であったと強く感じています。私は、医療の専門家でも何でもありませんし、これは私自身の体験の一部に過ぎません。ただ、公であるウェブサイトに掲載する以上、客観的事実においては正確を期すように努めていく所存です。

また、このコラムはあくまで私の勝手気ままに綴った日記のようなものですから、後縦靭帯骨化症とは一見無関係な記述も含まれていますが、同じ病気に羅った方に対して、少しでも体験者としての情報を提供できればとも思っています。最後には手術費用がいくらか等も書き添えたいと思います。また、子供のころからアトピー性皮膚炎を患っており、その格闘日記はこちらで書きたいと思います。

【注】
当方としてましては、記載内容によるいかなる責任も負いかねますので、医療機関による医師の判断を尊重してください。


#1◆症状が出始めた...

2004.10.25
手足の違和感とストレス

最初に、手足の違和感を感じたのは、勤務中だったろうか。

何か、右足と右腕に力が入りづらく感じたのだが、あまり気にしていなかった。その後、鳴っているデスクの上の受話器をとろうと手を伸ばしたとき、距離感がつかめない感じがした。

近くの内科で心電図・血圧等の検査をしたが、問題所見なしとのこと。ただ、少々高血圧気味だったので、量販店に行って血圧計を買い、数値を血圧手帳に付けることになった。今でも使っている。

このあと夏頃から、胃痛、不眠、吐き気、頭痛、めまい等あらゆる不定愁訴があり、相当なストレス状態にあったように思う。内科・耳鼻咽喉科・脳神経外科等、いろんな病院を受診したのだが、問題なしとのことだった。

ただ自分としては、「悪い病気が隠れているのではないか」と益々不安になり、何軒も病院をめぐり多少なりとも疲労困憊であった。
(いわゆるドクターショッピング)

こうしたことが何度となくあったため、右足と右腕の違和感もストレスだろうと考えていたように思う。今にして思うと不思議なのだが、この時点では整形外科を受診しなかったし、その関連の検査もしなかった。

首も痛かったと思うのだが、他の症状の方が非常につらく、そちらに気持ちが集中していたのかなと思う。


<回顧録>

この年は、年初から体調が優れなかったと思います。突然胸がバクバクし出したり、喉のつっかえ感、吐き気などの症状が頻発していました。近所の内科に行っても、「血圧が高いですね」と言われ降圧剤を出されていました。仕事がハード過ぎて心身ともに参ってもいました。今思えば、自律神経的な症状も混在していたと思っています。頻繁に血圧を測っていたのですが、神経質になりすぎていたとも思います。そこで血圧計をひとつ。

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私が持っているCD/DVDの中から。

21才の引退まで、全力で駆け上っていった軌跡そのもの。少女から大人の女性に変わっていく様が、鮮やかな映像と、その時々のヒット曲を通して感じることができます。現在の旦那様との共演(ご結婚前)や企画番組、歌だけでない魅力が満載です。そして、引退コンサート翌日に放送された"引退特集"はやはり必見。1時間まるごと、この特集に充てられた凄さ。駆け付けたアーティトの豪華な面々。ラストは涙なくしては見られませんでした。素晴らしい特集番組。この1時間を見るだけでも充分に価値があると思いました。観終わったときの感慨はひとしお。輝いている"一人の女性"がそこにいます。

この中から一曲を味わう。

1980年のシングル曲。この番組の最後に歌唱した楽曲。歌詞・メロディー・歌唱すべてが、高次元で融合している感じ。いくつものヒット曲を書いてきたあの作詞家が、彼女の気持ちを代弁するが如く、心に染み入る言葉で綴っているのが印象的。ラストカットは...私も涙。名曲です。
追加参考:伝説から神話へ 日本武道館さよならコンサート・ライブ-完全オリジナル版- [DVD]

2004.11.20
家近くのA整形外科を受診

最初の違和感から、2カ月くらい経っただろうか。

この頃になると「右足の脱力感」が顕著になってきて、いろんな症状が出始めた。上げればキリがないのだが、「微熱が続いている、右足の痛み、右腕のつまった感じ、右足裏の痛み、首と腰の痛み、両手の握力が弱い感じ」などなど。

"さすがにこれは整形かも?"と思い、家の近くの整形外科を受診した。

最寄駅から徒歩5分くらいで、静かな場所にある。子供の頃からよく行っている病院で、地味な建物(外観も中も)だが、いつも混んでいる。忙しいはずなのに、先生も看護師さんも元気そのものだ。先生は診察しながら、レントゲン室との往復で走り回っている。

ようやく私の順番になった。

前述の症状を先生に話した。そこで、血液検査、頚椎のレントゲンを撮ったのだが、レントゲンの結果については「あまり問題ないよ」と言われ、少しホッとした。

血液検査の結果は後日とのこと。

ただ症状がある以上、辛いことに変わりはない。こうなると、悪いほうへ考えがいってしまう。なるべく楽しい話題を探して、気持ちを別の方に集中させたほうがいいと思うのだが、なかなか切り替えがうまくいかない。

微熱が続いていたので、帰りがけにドラッグストアで体温計を購入した。それを会社の引出しに入れて、熱っぽいなぁと感じると測っていた。今にして思えば、神経質すぎたのかもしれない。昔使用していたのは、もっと簡易なものでしたが、今はこれを使っています。ピコピコ音が可愛らしい。( オムロン 電子体温計 けんおんくん わき専用 MC-681 PR)

<回顧録>.....首の病気はどこの診療科目?

当時は、診療科目ということに無頓着だったと思います。風邪をひいたら内科、ケガをしたら外科・整形外科くらいしか関心がありませんでした。

子供のころからスポーツクラブに入っていたので、痛みが出たら整形外科とは思っていましたが、力が入りにくいというのは初めての経験で、整形外科は全く頭になくて内科ばかり回っていました。

首の疾患の場合は、最初は整形外科を受診することが多いのではないでしょうか。また、脳神経外科を受診される方もいらっしゃると思います。脊椎外科のような特化した診療科もあると思います。初診は、どこでもいいのではと思います。また、経験談からですが、「脳神経外科」「整形外科」どちらでも診てくれると思います。


2004.11.22
2日後、再び受診

今日も、先生はパワフルに動き回っている。血液検査の結果も問題なく、内臓系疾患は、全く問題なく正常とのこと。まずはひと安心だ。

いろんな症状は、首の神経からきていると思われるとのことで(レントゲンと触診のみだが)、2週間のリハビリを仰せつかった。会社帰りに何とか通えるように努力しよう。上司と同僚に相談しなくては...

リハビリ内容は、
"首の牽引療法(首に装具をつけて引っ張る)"と"低周波治療(首に低周波が出る装置をあてる)"。
「それでも改善がみられない場合は精密検査を行いましょう」とのこと。

「牽引療法」は、椅子に座り頭上の棒から垂れ下がっているベルトのような器具を顎の下で固定させ、5kg,10kg,15kgといった先生が指定した重さで、一定間隔で引っ張るというものだった。

先生のお話では、牽引する意味は器質的な疾患を治すものではなく、首の筋肉の緊張を緩和させ血流を良くし、痛みの症状を改善させるためとのこと。また「低周波治療」は、やはりこちらも血流を促進させることが目的のようだ。ともにリハビリルームで行うとのことで、しばらくは通院しなくてはならない。

この日は、鎮痛剤、筋弛緩剤、胃の粘膜保護剤、を処方されて帰宅。

この頃から、血圧を気にしだして、飲料水( [トクホ] サントリー 胡麻麦茶 350ml×24本 PR)を飲み始めたのだと思う。家族も高めなほうなので、ケース買いして、今でも飲み続けています。

<回顧録>.....リハビリ室

リハビリ室は、慢性的な腰痛など定期的に来ている人が多く、いつも混んでいます。私は寅さん関連の本で一番好きな( 寅さんと麗しのマドンナたち PR)を読んだりしていました(DVDは全巻持っていますが)。

この著者の本は何冊か持っているのですが、独特の研究者的切り口の文章にとても魅かれたのを思い出します。また巻末にある、監督との対談は興味深く読みました。

私の場合は、首の牽引療法で20分、低周波治療で20分と計40分。ただ混んでいますので、その器具の順番待ちが発生します。リハビリ時間中は、基本的には暇ですので、私のように本を持ってきて読んでいる人、お喋りしている人など様々です。ときたま、患者さんたちの"人間ウォッチング"をしたりもしていました。

最近、腰痛で整形外科に行ったのですが、機器が新しくなっていてビックリしました。自動牽引機なる「スーパートラックST-2L」なるものが入っていました。実際に座ってみると、自動で動き出し、不思議な感覚...。


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私が持っているCD/DVDの中から。

2003年のシングル曲。トリプルミリオンを記録した大ヒット曲。初めて聴いたのは会社帰りに寄った駅地下のCDショップだったと思います。店内に流れていて店員さんに尋ねたことが思い起こされます。5人のメンバーそれぞれの個性が輝き、調和のとれた歌唱が楽曲全体を包み込んでいる印象。耳に残るメロディーラインとメッセージ性の高い歌詞。若者らしい真っすぐさと、暖かくも凛とした歌唱が耳から離れない。名曲。

📷 memory

私が唯一ファンクラブに入っている小田さんのカバーが忘れられない。
出だしのピアノの音色に心を掴まれ、ピアノ越しのアングルと落ち着いた照明からは、静かな中にも上品さがにじみ出るのを感じずにはいられない。透き通るようなキレイな高音で優しく歌唱していて、クオリティの高さが屈指。(2003)。※

2004.11.27
6日後、みたび受診

先生からは"2週間くらいはリハビリしてみてね"と言われていたのだが、リハビリを始めてまだ6日間しか経っていない。ただ、いま一つ効果が実感できなかったのと、私の"せっかち"な性格からもう一度診察をお願いした。

先生は、案の定"もう少し継続してみたら"とのことだったが、頚椎のMRI検査の予約を入れる手続きを、快く笑顔でして下さった。
(ここにはMRIはないので、MRIのある施設へ行くことに。)

気持ちが弱っているときの先生や看護師さんの笑顔は、救われる気がする。

それにしても私にしては、珍しく強引なお願いをしたと思う。直感的に単純な病気ではないのかもと、思ったのも事実。
(痛いだけならまだしも、力が入りにくいというのは、私の中では異常だと感じた)

4日後の予約となった。検査結果は3~4日で送られてくるので、その頃また来院して下さいねとのこと。すぐに結果が分からないのが、なんとも、もどかしい。。。

伝説の刑事ドラマ( あぶない刑事 DVD Collection VOL.1 PR)のDVDを観返しています。やはり初回から脚本や台詞がお洒落すぎ。それにしても、主役のお二人の年齢に反した渋さに恋焦がれました。また、柴田恭兵さんの大ファンである私としては、「はみだし刑事情熱系」も名作だと思っていますので、そのコラムはこちらで書きたいと思います。

<回顧録>.....リハビリテーション

リハビリの効果について。

病気の種類や症状の程度、個人差などもありますから、明確ではないのが普通です。効果が出る方もいれば、出ない方もいるでしょう。とても難しい領域だとつくづく感じます。

"2週間はやってね"と言われたところをみると、最低それ以上のリハビリ継続期間が必要というご判断なのだと思いました。ただ、会社員にとって難しいのは、"継続して"というところです。土曜日は行けたとしても、平日はなかなか診療時間内に行けるとは限りません。

また、先生に精密検査をお願いするのは、すごく気が引けました。せめて、2週間きちんとリハビリができたら良かったのですが...


2004.12.01
MRI検査の実施

今日は、頚椎のMRI検査の日だ。

上司に午前半休の許可をもらい、紹介された病院へ自宅から直行。車で15分くらいかかっただろうか。受付を済ませ、しばらくの間、呼ばれるのを待っていた。結構MRI検査を待っている人が多くてビックリした。

みんなどこかしら悪い所を抱えているのだと、少し考えさせられた。

MRI検査の直前に、係の人から「工事現場のような大きな音がしますけど、ヘッドホン使いますか?」と聞かれたが、装着しないでやってみた。MRI検査時の磁気による大きな音は、私はあまり気にならなかった。(思い返せば、これが人生初のMRI検査だった。)

検査は20分くらいで、すぐに終わった。これは個人差があると思うのだが、大きな音に弱いという人は、ヘッドホンや耳栓をつけた方がいいかもと感じた。また、仰向けになって筒みたいな暗い中に入って検査するので、"閉所恐怖症"の人には圧迫感を感じる人もいるということだった。

検査中、マイク経由の指示によって何回か息を止めるのだが、これが意外とキツイ。呼吸をすると体が動いてしまい、画像撮影がうまくいかないからなのだが、動いてしまうこともある。それはそれで仕方ないと思う。1回につき15秒くらい息をとめていたと思う。それが5回くらいだったかも。

結果が早く知りたいが、仕方ない。いったん家に帰り、その足で会社へ向かった。

<回顧録>.....MRI検査

初めてのMRI検査はとても緊張しました。

家族で経験しているのは親だけ。聞くと「そんなでもないよ」と。経験者は当然経験しているわけですから、簡単に言います。この手の話はよくあることかと思います。初めて胃カメラをする同僚に、先に経験していた私は、「どうってことないよ」と。反省です。

mri

当時は、MRI検査の機器の価格はとても高いようで、小さな病院ではまず置いていませんでした。今でもそうだと思いますが。そのため、機器のある病院なり施設なりを紹介されるか、MRI機器を搭載した"移動トラック"の中で検査したりしていました。車の中のほうが、磁気の音が大きいのかなと体感的には思います。

また検査中に息を止めていられなくて呼吸したところ、初めからやり直しになったこともありました。たぶんに、撮影部位が肺に近い"首"だからかもしれませんが、高齢者や持病を持っておられる方は苦しいのでは?と思ったりしました。

とにかく"初めてのこと"というのは、緊張する方が自然だと思っています。


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2005年のベストアルバム。出演された同名刑事ドラマと映画に使用された楽曲が満載です。当時子供だった私の"憧れの大人の男性"でした。その当時の年齢をはるかに超えてしまった今、まったく近づけてない自分を情けなくも思います。男っぽいしびれる高音は魅力的すぎ。このCDとドライブしたくなります。お洒落な一枚。

この中から一曲を味わう。

1988年のシングル曲。最初から最後まで"カッコいい"の一言に尽きます。社会へのメッセージ性をも感じさせる歌詞と、個性的なしびれる歌声が私の心を揺さぶりました。楽曲中のテンポの転換が秀逸で、アレンジがキレまくっています。硬派な歌声と絡み合い疾走感にあふれた一曲。

📷 memory

このシリーズをリアルタイムで観ていた私にとって、"憧れの大人の男性"でした。ドラマ自体がホントにお洒落で、それまでの刑事ドラマにない新しさがあったと思います。出演されていたキャストのみなさんも、魅力にあふれた個性的な役を熱演していました。

2004.12.06
5日後、MRI検査の結果

今日は、先日のMRI検査の結果が分かる日だが、少し期待・少し不安だ。しかし、先生はいつも通り元気いっぱい。先生の笑顔に救われている気がする。

診察室に入って先生から結果を聞く。

首のMRI画像とともに、書類には頚椎椎間板ヘルニアの疑いと記載されていてた。ここで初めて首に異常があることが分かったのだが、今まで大病をしたことが無かったのでいささかショックだった。

「ヘルニア」という言葉は聞いたことがあったのだが、詳しくは分からない。首の骨と骨の間の"椎間板"なるものが、何らかの原因で飛び出し神経を圧迫する病気だと、ざっくり先生がおっしゃっていた。

先生から紹介状を書きますが、どこの病院がいいですか?と聞かれ、いくつか病院を挙げてくれたのだが、その場で決めるのはなかなか難しい。逡巡した結果、大きな病院のほうがいいのかなぁと単純に思い、とある大学病院に決めた。

MRI画像フィルムと紹介状をもらって、この日は帰宅した。

頻繁に通う可能性を考えると、もっと近い病院のほうが良かったのかなと後で思ったりしたのだが、やはり家からの距離で判断するのは違う気がした。

みんな、どういう基準で選んでいるのだろう。

<回顧録>.....紹介状

初めて、「紹介状」なるものをもらいました。正式には、診療情報提供書と呼ばれています。

発行料としては、病院によって異なるとは思いますが、私の場合は2,000円くらいだったと思います。これは、封筒に糊付けしてありますので、中身を見ることができないのが不安でした。私の考えでは、これは医師から医師への手紙のようなものなのでしょうから、ここは我慢して開封しないほうがいいと思いました。

紹介状

紹介先の先生に、診察の際に直接見せてもらえるか聞いた方がいいような気もしますが、どうでしょうか。


2004.12.13
B大学病院を受診

12月中頃。

今日は、紹介された大学病院へ行く日だ。朝早く家を出て、B大学病院に向かう。受付で診察の手続きを済ませ(持参してきたMRIフィルムと紹介状も渡した)、整形外科の診察室の前で待機。

大学病院には、ほとんど来たことがないのだが、やはり広い。車椅子で移動している人、ストレッチャーで移動している人など、大変な思いをしているのが自分だけではなく、大勢いることを再認識した。

診察室に入ると、先生が私の持参してきたフィルムを見て、「脊髄がかなり圧迫されているので、首を動かさないように」「強い力で圧迫されると手足に麻痺が出るかも」とのお言葉を頂きショック...

とりあえず頚椎カラーなるものを購入・装着し、しびれの改善、血流促進の2つの服用薬を、2週間分処方頂いた。

次は脊髄の専門の先生がいる日に来るように、とのことで、2日後に再度来院予定。脊髄の病気を専門に診る先生がいること自体初めて知った。病気治療の診療科が細分化していて、驚いた。

首に負担をかけないようにと、これまでずっと緊張していたからか肩が凝って来た。まだスタートラインにも立ててないような気がした。

<回顧録>.....頚椎カラー

このとき初めて「頚椎カラー」なるものを知りました。

頚椎カラー
個人情報保護の観点から画像に一部加工を施しております。

首に"輪っか"をする感じ。マジックテープで調整し固定します。基本的に洗濯できないので、"自分で手作りした布カバー"を付けて使っていました(裁縫が不得意ではないため)。

今では、カラフルな様々な種類のカバーが販売されており、迷ってしまうほど。私のお気に入りを一つだけ。

この頚椎カラーですが、着けるとたしかに首が幾分楽になりました。ただ、これは初期の症状がひどい場合にはいいと思いますが、あまり長期間使用していると首の筋力が落ちてくるとのこと。
"外し時"が大切だなぁと感じたものです。この後、頚椎カラーを購入したことはなく、この一度限りです。ちなみに色は薄いブルーでした。(今は変色して色が抜けていますが)


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1999年のファーストアルバム。800万枚超えを記録。鮮烈なデビューで衝撃を受けました。最初のこのアルバムは、新鮮味にあふれていて瑞々しいばかりの楽曲が並んでします。"才能"という宝石がつまっている感じ。メロディーはもちろんのこと、詞の世界観はまるで"文学者"のそれに近いものを感じます。眩いばかりに輝いている一枚。

この中から一曲を味わう。

アルバムタイトル曲ですが、ミュージックビデオでの印象がとても強くあります。潤んだような瞳に吸い込まれそう。出だしの低音域をゆらぎのある声でしっかりと歌唱しているのが印象的。サビでの、感情が溢れ出すような表現は、ずば抜けています。表現者としての才能を随所に感じられる、そんな一曲。

📷 memory

私が唯一ファンクラブに入っている小田さんのカバーが忘れられない。
当時見ていてハッと息をのんだことを思い出す。流麗な高音ボイスがたまらない。ピアノを弾きながら優しく歌唱する表情を捉えるカメラアングルは抜群。(2002)。※

初めての地方転勤で、一人暮らしをはじめた頃だったと思います。新しい職場でのこれまでとは違う仕事、見知らぬ土地での不安なアパート暮らし、そんな中でのLoveの予兆と、いろんな思い出が蘇ってきます。この楽曲との出逢いも、いいタイミングだったのだと感じています。

2004.12.17
4日後、再び受診

今日は、脊髄の専門の先生の診察の日だ。

午後半休の許可をもらっているので、仕事を早めに片付けて、病院に向かう。先生の印象は、物腰が柔らかく、それでいて話し方も触診もテキパキしていて安心感がある。

握力テスト、触診による手足の神経の伝達具合をみる。「少し弱いみたいだね」とのこと。私が持参したMRI画像からは、4番5番の頚椎のヘルニアが飛び出して神経を圧迫しているようにみえるとのこと。

正直この形を見て空恐ろしくなった。

脊髄を輪切りにした形は普通マルいのだが、ハート型っぽくなっており相当圧迫されているのが素人目でも分かる。首を少し動かしただけでも脊髄がちぎれるような錯覚に陥り(実際は余程強い衝撃を受けてしまった場合だと思うが、当時はそう思った)、かなり動揺してしまった。

発症の原因は不明なことが多く、突発的に起こることもあるらしい。

「ヘルニアであれば自然消滅することもあり、入院・手術については、今後の経過と専門医チームで検討して決定する」とのこと(手術の場合、若いので前方除圧固定術になるみたいだ)。具体的に、「入院」や「手術」の単語を聞くとさすがに緊張してくる。手術を受ける自分を想像できない。

持ってきたMRIは最初の整形外科の病院に返却しなければならないので、新たにこの病院で頚椎のレントゲンとMRIを撮った。年内は、薬とコルセットで様子を見ることになった。また、この日に腰のレントゲンを撮った(今にして思うと何故腰か思い出せないが、若いころから腰痛持ちで、その話をしたのかもしれない)。

<回顧録>.....腱反射

先生の診察で、「腱反射(読み方:けんはんしゃ)」を調べるというものがありました。ベッドの上に腰かけて足をぶらんとした状態で、ハンマーで軽くひざ頭の下を叩きました。すると足がピクンと跳ね上がりますが、その状態を見てどのくらい神経に障害がありそうか調べるようです。

少しくすぐったいような気がしました。

ハンマー

手の方は、手首の内側のあたりをコツンを叩きました。私にはよく分かりませんでしたが、やはり医師というのは、体の仕組みを熟知していて凄いと思いました。


2004.12.24
7日後、MRI検査結果

今日は、先日撮った頚椎MRI検査の結果を聞きに行く日だ。午前半休をもらって会社から病院へ直行。今日も病院内は混んでいる。

今日は車で来たから1時間くらいだったが、バスと電車を乗り継いでくると2時間弱はかかるから、そこだけが難点だ。大学病院だから、それなりに重い、もしくは難しい患者さんたちなのだと思うが、それにしても多い。そして広い。

予約時間まで少し待って診察室へ。

先生いわく、「MRIの画像でも、4番・5番の椎間板ヘルニアによる脊髄圧迫だと思うよ」とのこと。正直、病名が分かってホッとした気持ちもある。

次の診察は1カ月後の予定だったのだが、この一週間で体調がとても良くないと話すと、「検査入院をしますか?」と聞いて下さったのでお願いした。精神的に不安定になっているのを、見抜いてのことだったと感じる。

この年は、春先から仕事の忙しさもあってか調子が悪い日が多く、具合が悪いといっては、いろんな病院を渡り歩いていたのだ(いわゆるドクターショッピング)。心と体のバランスが、相当崩れていると感じてはいた。今にして思えば、首の影響も少なからずあったように思う。

最後に、会社に提出する診断書を書いてもらい、そのまま会社へ直行した。

今後は、病院と長いお付き合いが始まる気がして、お薬手帳カバーなるものを新たに購入した(薬局でもらったりはしていたのだが)。

ボタンが付いているのを前提に探した。中の手帳は、A6サイズなら何でもOK。(本当は、硬めの透明ビニールカバーが良かったのだが)

<回顧録>.....診断書

診断書はこれまでも、首の病気以外で何度か書いてもらったことがあります。料金は病院によってまちまちだったと思います。近所の皮膚科で書いてもらったときは、会計で「文書料」に何も記載されていないので、先生に聞いたら「いらないよ」と言ってくれことがありました。

診断書

一方、大きな病院では、まず間違いなく料金が発生しました。私の経験だけですが、2,000円~5,000円くらいだったと思います。風邪などの軽めの病気では必要ないと思いますが、そうでない場合は、やはり会社に提出した方が良いと考えています。上司には当然ですが、総務部門にも伝えておいた方が後々スムーズに事が運びやすいと感じました。


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1992年のシングル曲。アルバム「TERRA2」収録。ドラマ主題曲。美しいメロディーラインが印象的。ゆったりと身を委ねることができるバラードで、アレンジもどこか都会的な匂いがします。張りのあるハイトーンが流麗で、"耳"が欲するような声にうっとり。

📷 memory

このドラマのシリーズは全部観てましたので、ドラマのあらゆるシーンが想起されます。そして何よりも、圧倒的歌唱力をもった"大人の歌い手"であると同時に、その才能の豊かさに感嘆しました。

#2◆検査入院...

2005.01.07
検査入院1日目

今日から検査入院だ。AMに両親と入院受付をし、主治医、受持医、看護師、のお三方と挨拶した。

予定は2週間だが、最低限の荷物にした。部屋は4人部屋で、私のベッドは窓側で見晴らしがいい。部屋のみなさんにご挨拶をしたのだが、良さそうな人ばかりで良かった。

昼食は完食。午後に看護師さんから明日からの説明があった。①新しい薬の飲み方②明日から朝晩の点滴(血管拡張剤)2回/日③脊髄造影(ミエログラフィー)を行うとのこと。

腕に刺した点滴の針は、入院中は抜かないそうだ。点滴時にその針に点滴のチューブを繋げるとのこと。終わったらチューブを外して保護テープみたいなもので腕に指している針を固定する。退院まで、注射針とは"お友達"ということになりそうだ。

また、問診とアンケート調査があった。

ミエログラフィーは略して"ミエロ"と言うのだそうだで、造影剤を背中か腰あたりから注入してCTをその場で撮影するとのこと。聞いただけで痛そうだ。

先生からは、「脊椎、胸椎を調べます。点滴は10日間の予定。結果によっては手術もありえます」と説明あり。検査入院だが、その結果次第ではそのまま手術ということになりそうだ。

私の隣の60歳くらいのおじさんは、足の股関節手術の予定とのこと。反対側のベッドの80歳くらいのおじいさんは、年末に足を骨折したらしく全治2カ月とのこと。あとの若いお兄さんは腰のヘルニアの手術らしい。この方は30代で一番年齢が近くよく話せた。

みんな何かしら抱えているのだ。全員良くなりますように!

<回顧録>.....病室選び

私の入院した病院には、「個室」と「4人部屋」があり、どちらでも選択できる感じだったと思います。ベッド代は、ちろん保険適用になります。

ただし4人部屋、3人部屋、2人部屋、1人部屋(個室)の場合は、差額ベッド代なるものが発生する仕組みです。つまり私の場合、個室を選ぼうが4人部屋(4床部屋)を選ぼうが、差額ベッド代が発生するというこになります。今回の差額ベッド代の金額はこちらの表に記載。

ベッド

そして、人数が少なくなるほど差額ベッド代の金額は上昇していきます。それだけプライベートの範囲が広くなるので当然かもしれません。金額を確認して、やはり個室は高いなぁと思いましたし、まして2週間となると支払額が多くなってきます。

入院にあたり、音楽を持ち込みたくて、奮発して機器を購入しました。当時は、まだスマートフォン(スマホ)など無かったため、持っていたCDを転送して聴いていました。未だに故障もありませんが、携帯型音楽再生プレーヤーらの進歩は凄まじいです(私の子供時代はカセットテープ)。スピーカーが付いているこちらも、お気に入りです(私の持っているのは、スピーカーが扇型のもの)。後々手術のために入院した時には、私のお気に入り楽曲を何曲か入れて病室で聴いていました。音楽は気持ちを落ち着かせてくれます。読書もいいのですが、目が疲れてきますので...。


結局、4人部屋を選択しました。

メリット・デメリットはそれぞれあると思います。

複数人の部屋は、プライバシーの範囲は狭くなますが、孤独感は少なく金銭的負担も少ないと思います。一方、個室ならば、プライバシーの範囲は広くなりますが、孤独感は大きくなり金銭的負担も大きくなります。

私見ですが、その人の"性格"や"病気の種類"、"経済的事情"などを総合的に勘案して決めるのがいいのかなと思っています。"1人が好き"や"テレビがあれば孤独は感じない"という方であれば、問題ないのかもしれません。

決して一概には言えません。それゆえに、ベッドにいる時間が長い入院部屋の環境は、とても重要な要素だと思うのです。


2005.01.08
検査入院2日目

先生の診察。

AM:8:00~10:00点滴
PM:19:40~22:30点滴

今日は、脊髄造影検査(ミエログラフィー)後の排尿と食事の練習だ。先生の説明によれば、脊髄造影検査(ミエログラフィー)が終わった後は、しばらく起き上がってはいけないとのことで、今日は寝たままの姿勢で排尿、食事の練習を行った。

何でも、注射する造影剤が頭の方に回って
副作用(頭痛や吐き気など)が出るのを防ぐためらしい。

当日はベッドの頭の角度を30度にして、そのまま1日動いてはいけないようで、それ故の練習だったのだが、これが意外と難しかった。ベッド上での排尿には抵抗がある。プラスチックの尿瓶でするのだが、寝ながらでは出るものも出ないし体勢がきつい。

食事も食べた気がせず残してしまった。しかし、カレーが出たのには驚いた。内臓系の病気ではないから、問題ないといえばそれまでだし、よくよく考えてみると、横になりながらスプーンで食べられるのはカレーくらいなのかもと思ったりもした。

カレーは、子供の頃から大好物。今では、レトルトカレーのラインナップも豊富で、迷ってしまうほど。ただ、長い間いつも買っているのは、こちら( ハウス カレーマルシェ 辛口 180g ×10個 PR)。キノコ系が嫌いな私にしては、このマッシュルームだけは、食べれてしまう不思議。昔、駅の改札前にあったカレー屋さん、ごはんに、銀製の魔法のランプみたいのに入っているカレーをかけるワクワク感を思い出します。

あと飲み物、横になりながら飲むということは困難に近い気がする。まず飲み込もうとするとむせてしまった。ストローみたいので吸ってみたが、飲んだ気はしない。看護師さんいわく「頑張って飲んでくださいね」とのお言葉。どうやって飲むのだろうか...

不安しかない。

点滴すると腕がとても痛く動かせられない。上下にするのも痛い。おそらく痛み止めの点滴だから、血流の関係だろうとは思う。看護師さんに話したら湿布と氷袋を持ってきてくれた。有難い。これでしのぐしかない。

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<回顧録>.....看護師さん

なりたての若い看護師さんでした。初々しい反面、不安もあります。みなさん経験を積みながら立派な看護師になっていくのだろうと思います。ともあれ、一生懸命なのがいいです。

私より相当若いので、患者ながらも、こちらがしっかりしなければという意識が働き、気持ちが折れなかったと思います。ベテランの看護師さんでしたら、私の性格上甘えきっていたと思うのです。

私の父が入院したときも、医師としてはまだまだ若い女医さんでした。娘のように映ったことでしょう。真面目過ぎる父は、あまり先生に手をかけさせないようにしていたのを思い出します。こうしたケースは少なくないのではないでしょうか。ベテランの医療従事者の良さ、若い医療従事者の良さそれぞれあると思っています。


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思い出の名曲を味わう!
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私が持っているCD/DVDの中から。

2008年ベストアルバム。バンド時代、ソロ時代のシングル全37曲+新録音の1曲を収録した、まさに"シングル・コレクション"。透き通る伸びのあるハイトーンは、どの楽曲でも一貫して感じられます。ソロ時代の楽曲では、ほぼ全曲を作曲していて、メロディーメーカーとしての才能が遺憾なく発揮されています。

この中から一曲を味わう。
  • SHADE~夏の翳り~

1987年のシングル曲。当時のシングルCDは、長方形のパッケージでの8cmシングル(今のCDと比べてミニCD、小さいCD)がほとんどでしたが、マキシシングル(12cmシングル)として発売されました。とにもかくにも、楽曲全体を通してのアレンジが芸術作品を思わせるほどのカッコ良さ。際立っています。名曲揃いの中で、私のお気に入りの最上位です。代名詞的楽曲としては、ソロデビュー曲が紹介されることが多く、あまりメディアで取り上げられない事が残念。サビの"ドスン"とくる迫力ある歌声とアレンジが堪らない。名曲です。

📷 memory

私の青春は、これらの楽曲抜きには語ることができない。それほど影響を受け、その楽曲たちとともに青春を過ごしてきたのだ。レコードではなく、初めて買ったCDもソロデビュー曲だった。私の音楽の好みのテイストも、元をたどればここに行き付く...

2005.01.09
検査入院3日目

3日目。

AM:8:00~10:00点滴
PM:19:00~22:00点滴

午前1回と午後1回の点滴。あわせて5,6時間行っているのだが、やはり腕が痛くなってくる。夜の点滴中、ふるえと気分の悪さがひどく、一旦点滴は中止となった。心と体が極度に緊張しているのだろうか。

寒くて仕方がないので、看護師さんにお願いして電気マットを敷いてもらった。体温はそんなに低くはないのだが、理由はよく分からない。

食事は、原則として食事ルームでみんなで食べるのだが、お願いすればベッドに持ってきてくれるとのこと。心が閉じこもっているせいか食事ルームに行く気になれない。本当はみんなと食べながら会話したほうがいいのは分かっているのだが、お願いしてベッドで食べることにした。

部屋でカーテンを閉めて食べてると益々滅入ってくるので、開け放って食べることにした。やはり緊張と不安がいっぱいなのかと思う。

この入院中だったと思います。職場の同期の女子から、良くなるようにとガラスケースに入った花(
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たいぶ後に、違う友達の新築祝いの品物を考えていた時に、フッとこれを思い出し、同じものを持参して渡しました。花は人の心を穏やかにしてくれるお薬のよう。とても喜んでくれたことを記憶しています。

<回顧録>.....食堂

食事時間になると、館内放送のアナウンスが流れました。食堂では、4人1テーブルで"ネームプレート"が置かれていて、病室の4人のメンバー。後に、私もここで食べるようになりましたが、初めはみんなぎこちなく会話もあまりなかったと思います。

ただ1週間もすると打ち解けて、自分はこんな状況だと話し合っていました。なかなか良いものです。年代も病気も仕事もバラバラで、刺激的です。気持ちが沈んでいた私にとても励ましてくれた方がいました。明らかに私の方が軽い症状なのに。感謝しています。

基本的にはみんな同じメニューでしたが、最初のアンケートにあったのですが、食物アレルギーがある人は、ヨーグルトや牛乳が別のものに変わったりしていました。あと、パンかごはんを選択できたと思います。いろんな体質の人がいるのですから、食事を作る人、配膳をする人は大変だろうと実感しました。

病室で食べる人には、何段にもなっている棚のようなカートに食事を乗せて、ゴロゴロ押しながら配膳係の人が各病室を回っていました。頭の下がる思いでした。


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2005.01.10
検査入院4日目

4日目。

AM:9:30~13:30点滴
PM:19:30~22:30点滴

今日は、胸痛、腹痛、背部痛あり。便秘で食欲もなく朝食を抜いてしまった。一気にいろいろな症状が出始めた感じがする。これは首の症状というよりも、メンタル的に過度の緊張状態にあるのかもしれない。

朝方、胸が痛いと先生に話したら、夕方に内科の先生のところで検査する手配をしてくれた。"狭心症"の検査や"心電図"など。特に問題はなく、やはり自律神経の乱れではないかとおっしゃられたと思う。

去年も胸が痛く、いろんな病院で、CT検査や血液検査など一通り行ったのだが、問題はなかった。ここまで、メンタルの影響が身体的症状を出すとは夢にも思わなかった。人間の体というのは不思議なものだ。

夜中にトイレに起きて、ナースステーションの前を通ると、何人かの看護師さんが、点滴の準備や書類の整理、打ち合わせらしき光景が遠くに見えた。このフロアーだけでもかなりの入院者数のはずだ。大変だと思うし、頭の下がる思いだった。

ナースステーションにはお茶と白湯のポットが置いてあり、マイカップを持って行って注ぐことができる。やはり白湯さゆは温まるし、体に優しい感じがした。

追記:
前半で書いたように、この検査入院ですが、うつ的症状が出ているのを先生は見抜いてのことだったように思います。それまでのドクターショッピングや首を動かしてはいけないという考えが強烈に私を追い込んでいったと感じています。地元の内科の先生に相談したり薬を出してもらったりしていたのですが、心身ともに疲れ切っていたのだと思います。極度の緊張から脱水症になり入院したこともありました。自分ではメンタルが関係しているとは全く思いもつかなかったので、症状が出るたびに〇〇科へという感じ。検査しても異常なしで返されることも何度も。自律神経系統やうつ的なものが原因だと自分が受け入れるのに、相当時間が掛かったことを思い出します。苦しい年でした。

<回顧録>.....ナースステーション

ナースステーションは、入院患者の"心の拠り所"だと思います。夜になると不安をおぼえる患者さんは多いのではないでしょうか。そんなとき、灯がついているナースステーションのそばに行くだけでホッとしました。看護師さんたちは忙しいはずですので、こちらから話しかけることはしませんでした。

ナースステーション

シフト勤務だと思うのですが、日勤や夜勤などもあるのでしょう。体調管理が難しいと想像しますが、患者の前では笑顔を絶やさない、時にはこちらのことを思って叱咤激励してくれたりもします。

深夜だからといっても様々な仕事をこなしながら、患者さんを見守っています。トイレに行く際も、前を通るだけで少し元気になるような気がしました。何かあれば、ここの人たちが駆けつけてくれると思うだけで、眠れるような気さえしたのです。人を癒す"チカラ"をもったプロの人たち。

それが看護師さんだと感じたのです。


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思い出の名曲を味わう!
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私が持っているCD/DVDの中から。

2001年のベストアルバム。初期のシングル曲をメインに過去のアルバム収録曲も収められていて、ギュっと凝縮されています。これまで数多くの楽曲を世に送り出していますが、そのエッセンスの源を感じられる気がします。時が経った今聴くと、より深くそれを感じることができる一枚だと思っています。

この中から一曲を味わう。

1994年のシングル曲。ダブルミリオンを記録。初めて聴いた衝撃は忘れられません。素直に「いい歌だなぁ」と思いました。そして何年たっても飽きることはありません。年を重ねた今の私に、聴くたびに新たな気づきをくれる、そんな楽曲です。楽曲自体が持つ"大地を踏みしめるような力強さ"と壮大な世界観を感じずにはいられません。そしてボーカルの抜群の歌唱力でのサビは圧巻。このイントロが流れた瞬間、どこかへと気持ちが持っていかれるようです。紛れもない名曲。

📷 memory

私が唯一ファンクラブに入っている小田さんのカバーが忘れられない。
一貫して硬質で骨太な歌声とギターの音色が奏でられており、力強さを感じるのだ。舞台背景色とのコントラストが印象的。大サビでスライドしていくカメラワークがこの楽曲の世界観を殊更感じさせる。クオリティの高さに感銘。最初から最後まで"カッコいい"歌唱・演奏に鳥肌。(2001)。※

幾度となくこの楽曲に励まされ続けてきました。振り返れば、若いころというのは、その若さゆえに強烈な不安と根拠のない自信を抱えているのだと思います。それでも一日一日を全力で目標に向かっていくしかありません。私の人生のなかで、常に体の中のどこかで、この歌が流れています。

2005.01.11
検査入院5日目

5日目。

AM:7:30~11:30点滴
PM:18:30~22:30点滴

今日は、朝からいろんな検査で忙しい。採血、採尿、心電図、胸椎と背骨のレントゲン、神経筋機能検査を行う。"何時に〇〇の部屋へ"ということで、病室と検査室を行ったり来たりした。

その中でも神経筋機能検査というのが、最も苦しかった。足の神経が障害されていないかの検査らしいが、うつぶせになり足のいたるところに針を刺し、直接神経に触れる?ので何ともいえない感触。終わった後は足が血だらけ...

大学病院なので先生が検査しながら、学生と思われる若者たち(4,5人だったかも)にいろいろと説明していた。大学病院というところは、高度な治療をするとともに、"教育"という役割も担っているのだ。

こんな私でも、少しでもお役に立ったのならば嬉しいと思う。

夜、先生から「採血・採尿ともに問題ない、手足の症状がそれほど重くないのと若いのでこの分だと手術はないと思う、リハビリを行い様子を見て退院も可能」とのお話あり。まずはひと安心。

最近便通が良くないので、そのことを話すと、「便潜血」の検査の手配をしてくれた。この際、悪い所はすべて調べようくらいの勢いだったと思う。ひとつずつクリアしていくしかないのだ...

<回顧録>.....神経筋機能検査

この検査の中に「筋電図検査」というものがあります。それをやりました。直接、針を筋肉に指し末梢神経を刺激し"筋力低下やしびれ"などの原因を探ったり、"筋肉の動き"を観察したりするものです。

私の場合は、両足のふくらはぎあたりに何か所も針を刺していました。先生の横にはモニターがあり、そこに波形や数字が出ていたと思います。痛みはありましたが、我慢できるレベルでした。4,50分くらいはかかったでしょうか。終わると、先生が血が出たところをキレイに拭いてくながら、「まだにじんでくるかもしれないけど、大丈夫だからね」とのお言葉。

うつ伏せで、自分からは見えないのが良かったのかもしれません。私は、採血のときでも目をそらすほうなので...


2005.01.12
検査入院6日目

6日目。

AM:8:40~11:40点滴
PM:19:00~22:30点滴

今日は、家族が着替えを持ってきてくれた。感謝。

午後2:00から脊髄造影(ミエログラフィー)検査を実施。不安しかない。背中に麻酔注射をし造影剤を注入。注射の痛さはそれほどでもないが、その後CTとレントゲンを撮ったと思う。えび反りやらいろんな体勢をとらされての撮影は、正直きつく腰が痛い。何分くらい検査していたのだろうか。

終了後、そのまま翌朝6:00までベッド上で安静(頭は30度の高さまでしか上げられないため、ベッドを調整。看護師さんに聞いたら、造影剤が頭に回って吐き気などがでるのを防ぐためらしい)。
ほぼ12時間以上、天井だけを見ていたと思う。

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この一日が入院期間の中で一番長くつらかったと記憶している。

入院時に、携帯ラジオを持ってきていたのだが、この苦しい場面で役に立つとは思わなかった。

本体カバーも付いていてイヤホンカバーも付いているタイプ。充電式ではなく乾電池単4一本で済むのがいいです。ボタン位置も分かりやすく、暗くして寝ながらでも感触だけで余裕で選曲ボタンや音量ボタンを操作できます。買って良かった。

イヤホンで聞いたりしたのだが、頭を動かしてはいけないという意識からか、番組の内容がまったく頭に入ってこず、時計ばかり見ていたように思う。ただ、ニュースだけは、頭に入ってきていたようだ。その時の後継機のラジオ(上記)がまたイイ。災害時にも、必ず必要とされる頼もしい存在だ。

それにしても、この辛さが永遠に続きそうな感じ。時計の針が、まったく進まない間隔。まさに修行僧のようだ。いや、それは修行されているお坊さんに失礼だ。夜、先生から入院計画についての説明があった。あまり頭に入ってこないのか、内容が思い出させない。まだまだ、先が長いことを感じる...

<回顧録>.....脊髄造影(ミエログラフィー)検査

この検査は、頚椎・胸椎・腰椎・仙椎など、背骨の中を通っている脊髄神経の圧迫具合を調べ、その後の治療や手術可否や方針を決める大切な検査とのこと。

脊髄神経が通っている硬膜管の中に造影剤を注入するので、その後は安静にしていなくてはならないそうです。先生いわく後縦靭帯骨化症では、MRIよりもこのミエログラフィーの方が確定診断には有効とのこと。通常のMRIでは分かりにくいようなことも仰っていたように思います。

これを聞いて思い出したのは、最初の整形外科で「ヘルニアの疑い」と記載されていた通常のMRIのこと。医学的知識がないのでよく分かりませんが、この検査が重要らしいことは分かりました。後にも先にこの検査は、これ一回のみでした。

しかし苦しい検査でした。大事な検査だと分かってはいるのですが、同じ姿勢での丸1日はキツイです。


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思い出の名曲を味わう!
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私が持っているCD/DVDの中から。

1998年のベストアルバム。デビュー曲から始まり、それまでのシングル曲をメインに30曲収録。聴きごたえ充分。どの楽曲もイントロを聴けば"あの曲"とすぐに分かるほど、耳に馴染んでいる楽曲ばかり。1988から毎年夏に放送していた湘南を舞台にしたドラマでは、ふんだんに流れていたのを思い出します。珠玉の一枚。

この中から一曲を味わう。

1978年のデビューシングル曲。当時この楽曲を聴いたときは衝撃的でした。あまりにも有名なサビのフレーズの繰り返しをCMで聴いた時の強烈さは、今なお私の中に染み込んでいます。テンポが速く言葉数も多いパワーのある楽曲で、歌声も魅力的。スピード感とウキウキ感にあふれ、高揚感をもたらしてくれる一曲。

📷 memory

私が唯一ファンクラブに入っている小田さんのカバーが忘れられない。
楽しそうにギターをかき鳴らしながら歌う。テンポが速く言葉数の多い独特の歌詞に対して、一生懸命に口を動かし歌っている感がある。左から右へ、右から左へとスライドさせるカメラワークが気持ちを高揚させる。(2001)。※

まだ小さかった私は、初めて聴いたとき、何を言っているのか速すぎて分かりませんでした。ですから、サビのフレーズだけを真似して歌っていたと思います。大人になるにつれて、よく考え抜かれたメロディーだなぁと思うと同時に、そこに日本語詞をうまく載せている技術に感銘を受けました。今でもトップランナーとして活躍していることを嬉しく思います。

2005.01.13
検査入院7日目

7日目。

AM:7:30~15:30点滴
PM:19:30~24:00点滴

家族が面会に来てくれた。少しリラックスした。しかし、左手左足のしびれ感、脱力感が強い。首、腰、背中が重く痛い。

今日から本格的なリハビリ開始だ。手足の機能改善が目的で、理学療法士さんが担当してくれるようだ。

「手」の担当は、男性の作業療法士さんでベテランで体格がいい。
「足」の担当は、女性の理学療法士さんで若く小柄な感じだ。

足はつま先の上げ下げを20回連続してできれば正常とのことで、病棟の廊下で練習してみたが、意外ときつい...。午前中、理学療法士さんと一緒に「リハビリ総合計画書」を作成した(初めてのことばかりだが、後から考えるとこれもいい勉強だなと思った)。

そういえば入院時に、看護師さんが「看護計画」なるものを作らないといけないから大変だと言っていたが、なんでも計画が大切なのだと実感した。

薬剤師さんがきて、薬の説明を受ける。その後胸椎のMRIを撮った。この時は、なぜ胸椎?と思ったのだが、のちに知ったのだが、頚椎に骨化症があると胸椎にも発症していることが多いらしい(個人差があると思うのだが...)。

夜、先生に調子を聞かれた。

左足の脱力感と造影検査で刺した個所が痛いことを話したのだが、触診後、「問題ないですね、多少2、3日は違和感が残るかもしれないけど大丈夫」とのお言葉。足の脱力感が左だったり右だったりで日々違っていて、自分自身でもよく分からない感じがする...(神経質になりすぎてるのかなぁ)

来週から本格的なリハビリ頑張って、とのお言葉を頂戴した。筋力もかなり落ちてる気がするので頑張ろう!

この頃、友達からお見舞いの品物が届きました。ケータイ(当時はガラケー)をクッションの中に突っ込む感じのキャラクターものでしたが、今ならばスマホ全盛なのでこちらかな( リラックマ 卓上 ぬいぐるみ スマホスタンド 携帯 スタンド にも 便利 キャラクター グッズ (リラックマ) PR)。もちろん可愛くて嬉しかったのですが、気にかけてくれる仲間がいることが、何にも増して嬉しかった記憶。

<回顧録>.....リハビリ総合計画書

リハビリテーション総合実施計画書というものを、初めて見ました。

看護師さんいわく、医師、看護師さん、理学療法士さん等と患者さんが相互理解のもとで実施する計画を作成するもののようです。医療とは、様々な人たちの"チカラ"が結集しているのだと体感しました。

リハビリ総合計画書
個人情報保護の観点から画像に一部加工を施しております。

地元の整形外科でリハビリをする時は、用紙をもってリハビリ室に行き、リハビリ専任の看護師さんに渡すと器具を装着してくれました。もしかしたら、あれがリハビリ総合計画書なのかなぁと推測してみたりしています。今度聞いてみようと思っています(今年行ってみたら、"理学療法用紙"と書かれていました)。


2005.01.14
検査入院8日目

8日目。

AM:8:00~16:30点滴
PM:19:30~24:00点滴

午後は、手と足のリハビリ。

リハビリルームに行ったら、物凄く広くてビックリした。大学病院だからだろうか。リハビリしている人数も多い。高齢の方々が多く、手や足の麻痺に対するリハビリを行っている人も多い。みなさん頑張って取り組んでおられて、そのエネルギーに圧倒された。自分などはまだまだ軽いのだし、若い部類なのだから、真剣に取り組まなければ申し訳ないような気がした。

あと想像以上に若い人も多く少し驚いた。

14:20
手は「肩のストレッチ、2kgの重り上げ」これは作業療法士のお兄さん。
"2kgの重り上げ"というのは、傾斜台の前に座って"斜面台"に沿って重りを上下に滑らせるというもの。地味に結構きつい。

14:40
足は「低い平行棒での歩行、マット上での運動」これは理学療法士のお姉さん。
"低い平行棒での歩行"はその名の通りなのだが、足の筋力が落ちているせいか、バランスが難しい。

先生から、精密検査の結果をお伝えしたいので日程について家族と相談して教えてほしいとのこと。去り際の「頚椎以外は全く問題ないよ」という言葉だけが引っかかるが、とりあえず家族に連絡して3日後に来てもらうことにした。

その後、会社に電話して上司に状況報告。「焦らず、入院中はゆっくりして」との言葉には感謝しかない。

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<回顧録>.....理学療法士さん

理学療法士は国家資格です。
PT(physical therapist)」と呼ばれたりします。

私のイメージは、"リハビリ"を一緒にやってくれたり、助言してくれる人、という感じ。今回の理学療法士のお姉さんが自己紹介のときに、大学3回生で実習生だと言っていましたので若いです。

以前のコラムでも書きましたが、大学病院は治療と教育、両方の役割を担っているので、こうして現場を経験していくのかと思います。

理論や知識も大切ですが、実際に患者さんと接して"場数を踏む"ことが何よりの勉強になるのでしょう。これは会社でも同じで、"習うより慣れろ"に似た感じがします。重篤ではなく、かつ緊急性の低い私のような患者を担当させるのは、良いことだと感じます。

同じような職種に「作業療法士」というのがありますが、こちらも国家資格です。
OT(occupational therapist)」と呼ばれたりします。どちらも、専門の勉強をして試験に合格した"その道のプロ"だと思っています。

この2つはどう違うのかと疑問に思いました。

理学療法士及び作業療法士法の法律的な定義として、下記引用文書の第一章 第二条につぎのような記載があります。下記引用致します。

第二条
この法律で「理学療法」とは、身体に障害のある者に対し、主としてその基本的動作能力の回復を図るため、治療体操その他の運動を行なわせ、及び電気刺激、マッサージ、温熱その他の物理的手段を加えることをいう。


この法律で「作業療法」とは、身体又は精神に障害のある者に対し、主としてその応用的動作能力又は社会的適応能力の回復を図るため、手芸、工作その他の作業を行わせることをいう。

出典:厚生労働省ホームページ「○理学療法士及び作業療法士法(昭和四十年六月二十九日法律第百三十七号)」(https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=80038000&dataType=0&pageNo=1)(2020.11.07閲覧)

ということは、理学療法士は、障害や後遺症などの個所の、動作能力の回復を目指すものと言えそうです。一方、作業療法士は、その先の社会復帰をするための社会的適用能力の回復を目指すものと言えそうです。

どちらも、目的が違うにせよ、手術や投薬治療と同様になくてはならない重要なものだと痛感しました。こうしたトータルケア治療や多くの人たちのサポートがあるからこそ、良くなるのだろうと実感しました。

リハビリを考える時に、必ず思い出す風景があります。


若いころの朝の通勤時。
駅の改札からバスターミナルまで行くには、物凄い数の階段を下りなくてはなりませんでした。ビル2階分くらいの高低差があったでしょうか。毎日苦痛でした。健康なのに...

毎朝、あるおじさんとすれ違っていました。右手に杖、左手・左足が不自由そう。通勤カバンはたすき掛け。ある日、私は早く着き過ぎて改札前のコーヒーショップに入り、窓越しに座ってコーヒーを飲んでいました。そこから階段が見えるのですが、そのおじさんは、一歩一歩、少しずつ、階段を登ってきます。

しかし一歩がとても短いから、登りきるまでに30分以上は掛かっていたと思います。毎日、時計のような正確さで登ってきていました。自分が恥ずかしくなりました。リハビリの一環だったのかもしれないのですが、働くためにこの駅の階段を登っていくその一歩がとても尊く感じられました。


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思い出の名曲を味わう!
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私が持っているCD/DVDの中から。

2000年のコンピレーションアルバム。同名アニメのオープニング曲、エンディング曲、映画主題曲(3作目まで)を収録した初期のテーマ曲集の第1弾。名作揃いで、放映開始から観ている私には、この世界観の印象が強いです。ミリオンセラーを記録。同系列のアーティストの楽曲で構成されていて、洗練されたお洒落な楽曲が充分堪能できる一枚。

この中から一曲を味わう。
  • 運命のルーレット廻して (ZARD)

1998年のシングル曲。やはりアニメの主題曲としの印象が強いです。その後も、何曲か主題曲になっているのですが、このアニメ作品に良く似合います。流れるようなメロディーラインにサビのキレイなハイトーンが波乗りしている感じ。隠れがちな、低音部をしっかりと歌える技術と才能は惚れ惚れとします。作詞力も、澄み切った歌声も才能に溢れていたと思います。私の心の中に大切に仕舞っている楽曲。

📷 memory

単行本も全巻購入し続けて読んでいます。なかなか黒幕の正体にたどり着かないのは"お約束"ですが、ミステリー大好きな私は、一話ごとのストーリーを楽しんでいます。初めての転勤先でよく聴いていて、このアルバムを聴くとその土地の風景がふっと浮かんでくるのです。

2005.01.15
検査入院9日目~11日目

9日目

今日は、お腹の調子が定まらない。家族が面会に来てくれた。
先生の診察。

AM8:00~11:20;点滴
PM19:30~21:50;点滴

AMの点滴が終わってから30分ほど足のリハビリをした。今日は胸痛、背部痛、不快なしびれがある。

10日目

先生の診察。
AM8:00~11:00;点滴
PM19:00~23:00;点滴

点滴すると体が温まる感じがした。今日も胸痛、背部痛、不快なしびれがある。

11日目

AM8:00~12:00;点滴
PM19:00~20:00;点滴

AMの点滴の間、足のリハビリ、PMは手のリハビリ。朝起きた直後は、右足が張っていたが、10:00くらいから少し楽になった感じ。

書き忘れたが、初日に「トイレ、風呂、非常口、食事」などの説明があった。検査入院だから、風呂の入り方くらいは確認しておこうと思って聞いたみた。これが「予約制」で、自分が入りたい曜日と時間を事前に予約しておかなくてはならない、というものだった。

明日はいよいよ検査結果が分かる日だ。不安しかない。

<回顧録>.....入院終盤

この3日間の日記は、ほとんど書いていないに等しいと思います。

事実の羅列。
基本的に、入院中は恐ろしいほど時間があります。
(私のような検査入院であれば尚更)

最初のうちは緊張もしていますし、気が張っているので、いろいろ観察したり、感じたりすることがあります。ただ、検査結果を聞く日が近づいてくるとエネルギーも枯渇していた感じ。現在では、あまり長い期間は入院させないのが基本だと思いますが、私もできるだけ短期間の方がいいと感じています。


2005.01.18
検査入院12日目

12日目。

今日は検査結果を聞く日だ。
AM:10:00~点滴
PM:15:30~点滴

夜に、先生の説明をカンファレンスルームで家族と聞く。

病名は「頚椎後縦靭帯骨化症(OPLL)」とのこと。

骨と骨を繋いでいる後ろの靭帯が、骨化してしまう病気らしい。人生で初めて聞く病名だ。今後は基本的には外来対応で、その後手術対応になるかもとのこと。保存療法(薬とリハビリ)で症状が進んだら手術という方向で行きましょう、とのこと(手術は首の後方から)。

この手術は神経を扱うので簡単ではないが、週に2,3例実施しているのでそんなに心配しなくても大丈夫ですと頼もしいお言葉。ただ、脊髄を傷つける可能性もゼロではないと正直におっしゃってくれたので、こちらも腹をくくることにした。

骨化部はヘルニアと違って自然消滅しないということ、発症の原因が分かっていないので国の難病指定(特定疾患)にされている、ことなどを教えてくださった。

最後に、「激しいスポーツは禁止ですが、頚椎カラーはそろそろ外してもいいでしょう」とのこと。今日は、両親のほうがショックが大きかったのではないかと思う。聞きなれない病名に加えて、難病だと聞けば仕方がないのかもしれない。後で聞いたら"車椅子になったらどうしよう"と思っていたそうだ。

私も聞いたときはそう思ったのだが、なるようにしかならないと覚悟していた。

退院は明日に決定。次回の診察は10日後。長い人生、これも試練だなと思ったりもする。取り越し苦労はしないようにしよう!

<回顧録>.....頚椎後縦靭帯骨化症(OPLL)

「コウジュウジンタイコッカショウ」という響きが、
語感的にとても怖く感じ、不安になった記憶があります。

瞬時には、頭の中で漢字に変換できなかったからかもしれません。

opll

後縦靭帯骨化症とは、どんな病気なのか。下記引用文書には、「1.概要」の欄に以下のような記載があります。下記引用致します。

1.概要
後縦靭帯骨化症は、脊椎椎体の後縁を連結し、脊柱のほぼ全長を縦走する後縦靱帯が骨化することにより、脊椎管狭窄をきたし、脊髄または神経根の圧迫障害を来す疾患である。頸椎に最も多いが、胸椎や腰椎にも生じる。

出典:厚生労働省ホームページ「69 後縦靭帯骨化症  〇概要」(https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10900000-Kenkoukyoku/0000089896.pdf)(2020.11.07閲覧)

とあります。

つまり骨と骨とを、背骨の後ろ側で繋げている"靭帯"なるものが、何らかの原因で骨化してしまい、その骨化部分が脊髄神経を圧迫し障害を引き起こす病気だと解釈できます。そして頚椎に一番多いことが書かれています。またここでは引用は避けますが、第2項において原因は不明としながらも、家系の調査結果により遺伝的背景が大きな役割を果たしていることが示唆されています。

つまり原因が特定できていないので、「難病」と指定されているのだろうと理解しています。またこの資料には、手術時期や予後など役立つ情報が諸々書かれてありました。


それとは別に、なかなか興味深いなぁと最近目を通した書籍を一つ。

後縦靭帯骨化症も、大きな括りでは「頚椎症」です。首はホントに大事でいろんな神経も通ってますし、筋肉も負担がかかりすぎるとあまり良くないとも感じています。私の症状としては、痛みやしびれはあまり感じず、"力の入りにくさ、手足のぎこちなさ、突っ張った感じ"が主だったと思います。
(こちらのほうが重症度は高いと先生はおっしゃっていました)


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思い出の名曲を味わう!
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私が持っているCD/DVDの中から。

2013年のシングル曲。大ヒット曲です。初めて聴いた経緯を覚えていない。何度もテレビから流れてくるのを聴いて、おじさん世代の私でも「いい曲だなぁ」と思いました。振り付けも子供から大人まで出来そうなシンプルさがいい。しばらくはサビが頭から離れず、リフレインしていたと思います。メロデイーやリズム感も気持ちよく、どこか懐かしさも感じます。一世を風靡する要素が詰まっているのではないでしょうか。楽曲としての高度なクオリティが光る、良曲にして名曲。

📷 memory

私が唯一ファンクラブに入っている小田さんのカバーが忘れられない。
どこか上品さを失わない歌唱は魅力的そのもの。ジャンルを問わずに楽曲を取り上げて歌うところが素敵だ。ギターの音色はウキウキしており、歌声も弾んでいる。まさかあの部分の歌詞を歌うとは。衝撃。(2015)。※

私が"おじさん"と呼ばれる年齢になって、初めて振り付けを覚えようとしたのがこの楽曲。体が硬いのか、物覚えが悪くなったのか、いや両方だろう。相当な時間を費やした記憶。

2005.01.19
検査入院13日目

今日は退院日。

今後は通院になり、近くまた来る予定なのだが、2週間もいると病院といえども多少の淋しさも沸いてくる。

飲み薬(神経修復剤、血流改善剤、胃酸分泌抑制剤)を処方された。

今日は車で迎えに来てもらったのだが正解だった。まともに外を2週間歩かなかったからか、足がガクガクする。近くのレストランまでの距離が長く感じられ、筋力の低下は恐ろしいスピードなのだと身をもって実感した。

ただ、退院はかなりの解放感がある。

今の時点での症状は・・・・
首の痛さ、手の指のつっぱり感、両足のしびれ感、指の細かい動きのぎこちなさ、背中と腰の重さ、などなど。今にして思えば、頚椎からの症状と自律神経症状が混在していたように思う。

退院手続きをして帰宅。まだまだ、先が長い...

物事を考えすぎる傾向にあると、自分でも思っています。理詰めで考えないと気が済まないタイプ。この時期は、まさにそんな感じでした。そこで、今でこそメジャーなワードになっていますが、そんな書籍を読んでいました。今はこちらの本を読んでいます( 問題解決思考 PR)。
論理的に考えることは必要ですが、頭の中が整理された状態を作り出さないと、良くないかなと感じています。この本のタイトルのセミナーに参加したことがキッカケ。講師の方のお話もなかなか役立ちそうなものばかりでしたが、参加者のみなさんも活発な討論で大いに盛り上がったことを思い出します。

<回顧録>.....難病指定

後縦靭帯骨化症は国の「難病」に指定されていて、令和元(2019)年7月1日現在、333の疾患が指定されているようです。

そして難病に対して医療費の助成をする対象疾病は、自治体により異なっているようです。また、「特定疾病」にも後縦靭帯骨化症は指定されており、現在(これを書いている2020年11月現在で)、16の疾病が指定されています。(介護保険法施行令(平成十年十二月二十四日  政令第四百十二号)。

いろんな制度が関係してきますが、なかなか分かりにくい面もあるかと思います。それはまたのコラムで。

難病指定

そもそも"難病"とはどういうものなのか。
難病の定義について、下記法律を引用します。

第一章第一条
この法律は、難病(発病の機構が明らかでなく、かつ、治療方法が確立していない希少な疾病であって、当該病気にかかることにより長期にわたり療養を必要とすることとなるものをいう。以下同じ。)の患者に対する医療その他難病に関する施策(以下「難病の患者に対する医療等」という。)に関し必要な事項を定めることにより、難病の患者に対する良質かつ適切な医療の確保及び難病の患者の療養生活の質の維持向上を図り、もって国民保健の向上を図ることを目的とする。

出典:厚生労働省ホームページ「難病の患者に対する医療費等に関する法律」(https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/nanbyou/dl/140618-01.pdf)(2020.11.08閲覧)

最初の一文に書かれているように、"原因不明で、治療法が確立されておらず、長期療養が必要な病気"だと解釈できます。ですから、それに対する様々な助成制度が設けられています。やはり長い期間付き合っていく病気で、そういう心積もりが必要なのかもしれないと思いました。

難病と聞かされてからこの条文を何回読み返したか分からず、ほぼ暗記してしまっていますが、こういう場合は公的な文書あるいは関連法律などに目を通した方がいいと思っています。いろいろな情報を簡単にネットで目にすることができる今、"たしかな情報"を土台に置き、そこに情報を積み重ねて頭に入れることが大切だと、思うのです。


2005.01.28
退院7日後、初受診

久しぶりの病院。懐かしくさえ感じる。

今日は握力検査と腱反射を行う。握力は32kgと以前の私にしたら少し弱いのだが、腱反射はまだそれ程酷くなく大丈夫とのこと。

私の場合脊柱管が一般的な他の人より狭いため症状が出ているが、出ない人もいるとのこと。これは個人差があるようだ。転倒したりして麻痺が出る人もいるので、ラグビーやサッカーなどの激しいスポーツは禁止とのこと。今でも休日には草サッカーをやっている身としては辛い。

ただ、日常的な首の動きに関する制限はないですよとのこと。仕方ない。筋力もかなり落ちてる気がする。筋力を落とさないために、継続的なリハビリとトレーニングは必要と言われ気を引き締めた。

寝るときは横を向いても大丈夫みたい。私は寝相が悪いからこの質問をしたのだが、よくよく考えれば、無意識に寝返りをうつのは防げないと思う。

手術について聞いてみたら、「手術した人は、2,3週間は首を固定して、その後はみんな会社に復帰していますよ」という話だった。前向きな話をしてくれると、元気が出てくる。また薬で改善する余地もあるので、服用はもうしばらく続けて下さいとのこと。

このところ頭痛が続いてると話すと「頭のMRI検査しておきますか?」と言ってくれたので、お願いした。不安を一つずつ取り除こうとする先生には感謝しかない。(後日検査したが問題なかった)

寝る時の枕は、高さのあるものだと首への負担が大きそうで、しばらくは、タオルを何枚か重ねて寝ていました。その後、新しい枕を探しにショッピングセンターへ。迷いながらも、( 東京西川 枕 洗える 睡眠博士 首肩フィット 仰向け寝が多い方向け ソフトパイプ 高さ調節可能 アーチ型形状 やわらかタッチ 高さ(低め) EKA0501201L PR)を買って今は使っています。

会社に提出する「診断書」をもらった。次回の診察までにおかしくなったら、曜日を問わずすぐに来てくださいねと仰ってくれたのだが、こういう言葉は、本当にうれしいし安心感を与えてくれる。病気になって思ったのだが、先生の一言一言が気持ちを随分落ち着かせてくれることに気がついた。

<回顧録>.....家でのリハビリ

家でもリハビリするようにとのことで、診察が終わった後に、理学療法士さんが実演しながら教えてくれました。

【手】のリハビリ
①腕を伸ばし手首を内側に曲げ、腕の張っている所をマッサージする
②腕を伸ばし手首を外側に曲げて、突っ張るようにする
③輪ゴムを2本の指にかけ引っ張る(親指と人差し指、人差し指と中指・・・etc)
④スポンジを指で挟み屈伸させる
⑤腕を垂直に上下させる
⑥ペットボトルを持って腕の上げ下げをする

【足】のリハビリ
①足を肩幅に開き、屈伸する(20回)
②足を前後に出し、屈伸する(20回)
③片足を上げ、つま先立ちし屈伸する(20回)

これを1日3セットということなのですが、キツイです。継続は力なりと言われますが、継続することの難しさを痛感。

テレビのドキュメンタリーなどで、リハビリの様子を観たことがありますが、「大変だなぁ」と、どこか他人事でした。実際にやってみないと"リハビリ"の大変さは分からないと実感しました。体力よりも"気持ち"が先に折れそうな感じ。

ただ怠け者の私にしては、割と続けてやったと思います。

次は、part2についてです。


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思い出の名曲を味わう!
(ジャケ写➝Amazonページへ)
私が持っているCD/DVDの中から。

2011年から2012年にかけて行われた全国ツアーのライブ映像作品。2012年に発売されました。2011年9月の東京ドーム公演の模様が収められています。ボリューム感満載で内容の濃さは随一。観ているとあっという間に時間が経ってしまいました。ライブでは、もはや定番となっている"花道"を縦横無尽に駆け回り歌唱する姿は、最高の一言。エネルギッシュかつパワフル。輝いている姿がそこにありました。

この中から一曲を味わう。

1988年のバンド時代の通算34枚目のシングル曲。後にセルフカバー。ゆったりとしたメロディーの上にやさしい歌詞が載せられています。一本のピンスポが幻想的。サビでの硬質ながらも柔らかいハイトーンが心地いい。マイク片手に花道を"ゆっくりゆっくり"歩きながらの姿が印象に残りました。やさしい楽曲。