私が選ぶ...小田さん出演番組 7選!!
~そこから感じること~
小田さんの出演された番組の中で、私の心に残ったものをいくつか振り返り、感じた事ことを語ってみたいと思います(詳細の記述は控えますことをご了承願います)。
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◇2009.7.7・14放送
「佐野元春のザ・ソングライターズ」 -
◇2012.6.10・17放送
「情熱大陸~井上真央が撮る小田和正~」 -
◇2013.10.18放送
「YOKOSO~吉田拓郎×小田和正~」 -
◇2015.5.1放送
「インタビュー ここから」 -
◇2016.3.22放送
「ドリームライブが福島にやってきた」 -
◇2016.12.31放送
「めざましテレビpresents・私と、めざましと、小田和正の11年~今日もどこかで~」 -
◇2021.4.2放送
「みんなのうた 60スペシャル」
2009.7.7・14放送
「佐野元春のザ・ソングライターズ」
『佐野元春のザ・ソングライターズ』は、2009年7月からEテレで放送されました。30分番組。会場は、佐野さんの母校の立教大学。"詞の探求"をテーマに、様々なアーティストと対談する番組です。記念すべき初回(7.7)と2回目(7.14)の2週連続ゲストが小田和正さん。お二人は、クリスマスの約束2007で共演しました。
7.7(第1回)
胸にチェック柄の入った黒のセーター姿。大教室のステージ上で椅子に座り対談がスタート。佐野さんの質問に答えるという形。大学時代、建築を専攻していた小田さんに、音楽との共通点を尋ねる佐野さん。建築設計における「トイレと階段」が、曲のサビと似ていると感じていたトークはなかなか興味深い。そして曲を書き始めたころに意識していたこと・・・
同級生が聴いたらどう思うだろう
~「佐野元春のザ・ソングライターズ7/7放映」での小田さんのコメント~
若い頃の作曲について、建築とのからみで出てきた『トイレと階段』のトークもまた面白い。
他の媒体でも話されているのだが、建築を辞めて音楽の道に行った自分を同級生がどう見てるのかを、当時はとても意識されていたようだ。大学院まで行って『建築』の勉強をしていたのですから、そこを捨てて本格的に音楽へと足を踏み出すことは難しいと思うのが、どこかの番組でも仰っていたのが、なんの後ろ盾もなく教育も受けていない"音楽"は、どうしても捨てることが出来なかったとのこと。この時の決断がなければ、私にとっても小田さんの楽曲を聴くという音楽環境が存在していなかったのだと気付かされる。
2000年のアルバム「個人主義」に収録されている「the flag」を取り上げ、佐野さんによる歌詞の朗読(事前収録)。僅かな照明の中で、所々胸をトンと叩いてアクセントをつける姿は格好いいだけでなく言葉が響く。絶賛する小田さん。
定型質問のコーナー。当時のビートルズの"チカラ"について語る内容は、興味深い。そして「誰のために曲を書いているのか」という質問のやりとりから、「作家性と商業性」の違いについて語りあう二人。お互いの話す意図を瞬時に理解し反応するトークがいい。こうした着眼点、いかにも佐野さんらしくて好きだ。
そして「生まれ来る子供たちのために」の発売エピソード。「さよなら」の大ヒットの後だからこそ、
本音っぽいものを出したかった
~「佐野元春のザ・ソングライターズ7/7放映」での小田さんのコメント~
という言葉を聴くと、その発想の柔軟さに驚くとともに、そうだったのかぁと妙に納得。クリスマスの約束2008での演奏映像が流れる。秀逸。
10歳程の歳の差があるお二人ですが、その差を感じさせないトークのやりとりは、貴重かつ興味深いものがあります。
7.14(第2回)
曲作りについて。ほとんど曲を先に書くという小田さんに対して、佐野さんならではのソングライティング論も貴重。やはり佐野さんは詩人なのだと思う。
1985年に、小田さんが財津和夫さんとユーミン(松任谷由実さん)とコラボした「今だから」。その制作時にユーミンの手書きの詞を見たという。その話から、佐野さんが「言葉にできない」を手書きしてほしいと言われ、サインペンで書き出す小田さん。独特の個性的な字だ。そしてこの曲の制作秘話を語る。5人のオフコースのラスト的ソングだ。この話のなかで、
詞は本来書きたくない
~「佐野元春のザ・ソングライターズ7/14放映」での小田さんのコメント~
という話をしていたのだが、それがとても意外だった。作詞には苦労しているらしい。
この曲のサビのスキャットとそれに続く言葉についての佐野さんの鋭い考察。私はこうした捉え方をしたことは無かった。目から鱗が落ちるようにも思うし、本質をついていると思う。小田さんもその話を引き継ぎ語りだす。作詞するときの想いについてのトークは印象的。
学生たちからの質問に答えるコーナー。初めて作曲した時のエピソードも興味深い。中でも、"詞を書くことがあまり好きではないのに、どうして詞にこだわるのか"との質問に、佐野さんが良い質問だと頷く。
この答えも小田さんらしいなと思ったのだが、"言葉を探す"ことの意味。歌うことの本質性。真剣に答える姿は清々しい。とても印象に残った。人に何かを伝えるには、苦しみながらも言葉を探して伝えようと努力する大切さを教わった気がした。良質な番組。
収録後に、何か伝わっていればいい、と控えめに語る小田さん。彼一流のレトリックが...と語る佐野さん。お二人とも素敵なシンガーソングライターだ。
※
お互いに一流のアーティストならではの対談トークは見応えがありました。いろんな角度からのトークがその幅を広げているとも感じました。クリスマスの番組出演がキッカケでの出演だと思いますが、お互いがお互いをリスペクトしている感があります。良質な番組。
見栄を張ったりお世辞言ったりしない小田さんですが、これまで歩んできた人生を鑑みるにつけ納得したりもしました。会社でもそうですが、入社していきなり華々しい活躍をすることは難しく思います。バンド時代の所謂"売れない"期間が長かったことは、かえってその後の飛躍に繋がっているのではないでしょうか。仕事も3,4年と経験していくうちに、いろんなプロジェクトや仕事の幅が広がって活躍できたりもします。そういったことを観ていてフッと感じました。
- SOMEDAYPR (佐野元春)
2012.6.10・17放送
「情熱大陸~井上真央が撮る小田和正~」
『情熱大陸』は、1998年からTBS系で放送されています。各界で第一線で活躍している方にスポットあてるドキュメンタリー番組。30分番組。700回特別記念として2012年6/10、6/17の2週連続で小田和正さんを特集。女優、井上真央さんがカメラ片手に密着取材するというスタイルです。
6.10(第1回)
女優の井上真央さんに「あなただから撮れる情熱大陸をとりませんか」という番組からの提案。大好きな人だという「小田和正さん」を撮る。真央さんといえば、「花より男子」のイメージがあるが、昨今では「少年寅次郎」の育ての母親役の熱演が記憶に新しい。演技力のある素敵な女優さんだ。始める前に、これは"挑戦"だといった真央さん。
取材を受けた理由について小田さんに聞く。出身地が同じ横浜市金沢区、真央さん主演ドラマに2度「「ファースト・キス」(2007)、「獣医ドリトル」(2010)」主題曲を提供したという"縁"について語る。ここで小田さんから...
最初に釘さしておきたいのは・・・(中略)・・・「やったことないから」というのは言い訳にならないように
~「情熱大陸6/10放映」での小田さんのコメント~
厳しい言葉。小田さんらしい。常に漫然とせず、テーマをもって何事にも取り組んでいる小田さんならではの言葉だろう。学校の先生が生徒に厳しくも暖かく見守るイメージが、ふと私の頭によぎった。
昨年の震災を受けての今回の東北ツアーへの挑み方を聞く。仙台ライブ前日の「御当地紀行」の撮影を見守る真央さん。その途中、いきなり
私も撮っていいですか?
~「情熱大陸6/10放映」での井上真央さんのコメント~
ハンディカメラ片手に小田さんを追いかける。小田さんの母校東北大の壊れた校舎を眺める。再び車中でのインタビュー。音楽の楽しさや苦悩について語る小田さんを見つめる真央さんは輝いている。まさにこの瞬間から取り組み方が変っていったように思う。"真剣勝負"なのだろう。密着取材をしながら編集もしている真央さんのまっすぐな大きな瞳が魅力的だ。
ライブ当日直前、東北に向けた新曲への思いを尋ねる。静かにそして真剣に答える小田さん。ライブでも観客を前にして想いを切々と語る。ギター片手に歌う。優しい曲だ。被災地のみんなに寄り添うような曲(その日が来るまで)。
ライブ終わりに、インタビューに来た真央さんに一言。
自分の番組の最後の考えはまとまりましたか?
~「情熱大陸6/10放映」での小田さんのコメント~
この言葉を重く受け取めた様子の真央さん。一週間後、真央さんがカメラの前で決意を語る。表情は怖いくらい真剣だがとても引き締まった表情が素敵。
小田さんの事務所に行き、また福島ライブにも同行。そこでもライブ前にインタビューに挑む。ライブ終わりにまた来るかもという真央さんに、鍵をかけておくと答えるお洒落で茶目っ気たっぷりの小田さん。娘のように可愛いのだと思う。その裏返しか。(私の勝手な推測)
6.17(第2回)
編集室にこもり、これまでの取材内容がびっしりと書き込まれた自分の手帳を見ながら格闘する真央さん。ドラマ「トッカン 特別国税徴収官」も並行して撮っていた。まっすぐな大きな瞳が魅力的だ。
憧れの人に少しでも近づきたい・・・
~「情熱大陸6/17放映」での井上真央さんのコメント~
仙台への同行取材での二人のやりとりは"微笑ましい"。親子ほどの歳の差があるからか、厳しくも優しい眼差しで見守る小田さん。
車中でのインタビュー、仙台への同行取材と粘り強い。新幹線の席に隣同士に座って話す二人。微笑ましい光景だ。東北大でのライブ。本番前に控室で"今の自分と同じ25才に何をしていたか"を尋ねる。このやりとりの中で、ソロになったときに音楽の道で行くと決めたくだりの話には驚いた。それにしても真央さんの真っ直ぐに見つめる目がいい。
取材に編集、ドラマの撮影と多忙のなか、カメラ片手に一人で密着していく真央さんの真剣な眼差しは眩しいです。いろんな小田さんを撮影しライブにも同行。
横浜のライブの前に、「港の見える丘公園」を二人で歩く。もちろんオフコースの名曲「秋の気配」の舞台の場所だ。歩道を歩いている二人。道路反対側を歩いていた数名の中学生とおぼしき女子たちが真央さんの髪を切ったことを指摘したことに感心する小田さん。そしてよく歌詞に出てくる「風」についてのエピソードトーク。
今日は赤レンガ特設野外コンサート。小田さんの乗る車を、会場に先乗りして迎える真央さん。小田さんの歌唱映像に、真央さんの『想い』を自分のナレーションで載せてくる。
最後は、風の吹く緑の木々に囲まれたベンチで、今後のやりたいことについて。
真央さんの奮闘ぶりと二人の真剣かつ優しいまなざし。この番組は、小田さんのドキュメンタリーであるのだが、間違いなく真央さんのドキュメンタリーでもあるのだと実感した。
※
何といっても企画が素晴らしいです。ドキュメンタリーを撮っている側が成長していくという逆説的過程が面白い。最初の釘を指された言葉は、まさに私にも向かってきました。「やったことないから、分からない」というのは私の口癖でした。この番組を観てから思うこと。未体験のモノへ挑戦する際には、結果も大事ですが、「その過程と、どういう辿り着き方をするか」が大切なのだと教えてくれた気がしています。
分からないことに臆病になってはいけないと感じています。二の足を踏むという言葉がありますが、逆にやってみないと分からないとの意味合いもありそうです。「とにかくやってみる」ことが大切なのかもしれない。
- こころPR (小田和正)
2013.10.18放送
「YOKOSO~吉田拓郎×小田和正~」
『YOKOSO』は、NHKBSプレミアムで放送されていました。様々な人をゲストに迎え対談する1時間番組。小田和正さんと対談した模様を、2013年10/18に放送。ナレーションは、THE ALFEEの高見沢俊彦さん。
ほぼ初対談
都内のバーのような雰囲気の場所で対談。拓郎さんのラジオには出演したことはあるが、テレビ初対談。二人とも1970年デビューだが小田さんが一つ年下。
いきなり話始める二人。自分は"女々しい"と言われてきたという小田さんに、拓郎さんは・・・
君のラブソングはかなり男本位だよ
~「YOKOSO(10/18放送)」での吉田拓郎さんのコメント~
小田さんを"男っぽい"という拓郎さん。
オフコースが売れ始めた頃を尋ねられ、30才過ぎて、キャーキャー言われるのが嫌だったという小田さん。拓郎さんはデビューしてすぐにヒットし駆け上がったが、オフコースの「さよなら」の大ヒットが1979年。駆け上がるまで10年。当時小田さんは32才。伝説の武道館ライブの「さよなら」の映像。
ピアノを弾き歌っている最中に、汗が顎から滴っていく。この映像的構図は今でもよく見受けられる。秀逸な演出。
同じ時代を生きてきた者同士。シャレ心か本音か、なかなか言いにくいことや思ったことをズバリ言い合う二人。信頼関係があるからこそできることだと思う。羨ましかった。
人生の岐路について聞く拓郎さん。建築の道もあったのにどうして?との問いに、小田さんなりの解釈を語る。やはり小田さんの人生でこの選択をしたくれたことを、わたしは一人のファンとして有難く思っている。そして拓郎さんは早くからスターだったからという振りに、俺はスターだったからねと言って笑う拓郎さん。
拓郎さん節全開。二人で笑う。ラジオでもそうだが、拓郎さんの話の面白さは逸品。自分は個性的だったと、自分について語る拓郎さん。
オフコースがあの時代にテレビ出演しなかった理由や、裏話的トークははなはだ興味深い。その後のテレビに出始める背景についても拓郎さんと語り合う。
最近の若いアーティストは海外、特にアメリカを目指さないことに少々不満げな拓郎さん。理由を尋ねられ、小田さんなりの考えとその背景を切々と語る。そして、自分は今は日本の人に向けて曲を書きたい旨を拓郎さんに伝える。
また、拓郎さんが抱いていたオフコースへの感情は意外性に富んだもので、小田さんもビックリしていた。
少し弱気な発言をすると、こうした方がよくない?的な言葉を出す小田さんだが、拓郎さんには、常に走っていてもらいたい気持ちが強いのではないだうかと推測する。ベタベタした付き合いではない。一定の距離感のある、それでいて言いたいことを言い合える関係。素敵だ。
もっといろんなテーマでのトークが繰り広げられたのだが、大物二人のほぼ初共演(テレビでは)は、画面からオーラ?が伝わってくる。最後は握手で締め。終始、リラックスした感じ。
※
この出演をキッカケにクリスマスの音楽番組での共演に繋がっていったと思うのですが、正直鳥肌ものでした。今回の対談でも感じたのですが、いわゆる団塊の世代の方たちのエネルギーは凄いものがあります。私が学生だったときは、社会を変えようとかそんなことは露も思わず、吞気でした。今後はなさそうな今回の2人だけの対談番組。貴重。
親友と呼べるのは何人いるでしょうか。私はとても少ないと思います。昔はライバルでも時が経つにつれて良き仲間になることもあります。限られたこの人生のなかで、より多くの友人との出会いを大切にしていきたいと思います。
- さよならPR (小田和正)
2015.5.1放送
「インタビュー ここから」
インタビュー
昨年8月の武道館コンサートの模様からスタート。伝説のオフコース10日間武道館コンサートから36年。ライブで、"当時来てくれた人がこの中にいたらとても嬉しい"旨のトーク。
時は瞬く間に過ぎ去っていく。
景気が一望できる見晴らしのいい所で、アナウンサーと差し向かいで対談。あの武道館ライブでタンバリンを観客に投げた時の映像が差し込まれていたが、あのタンバリンの一つを阿部アナは、当時会場にいてゲットしていたという話をどこかでしていた。
オフコース時代について小田さんが振り返る。
今回のコンサートに10回は行ったという阿部アナ。ツアータイトル「毎日がアンコール」に込めた思いを尋ねる。
毎日がいとおしく生きたいなという思いでしたね
~「ここから(5/1放送)」での小田さんのコメント~
声が太くなったのではという問いかけに、頷く小田さん。オフコース時代と変わらぬ綺麗な高音だが、年齢を重ねるにつれて太くなってきていると、私も思う。
歌い続けることについて、ある先輩から言われたという言葉を語る。なかなか重みのある言葉だったようで、その表情からは心に留め置いた感じがした。
バンド時代について振り返る。
ツアータイトル「毎日がアンコール!!」に込めた想いを語る。毎日を愛しく生きる云々だったと思う。強く印象に残った。私も明日という日が当たり前にやってくると思っていた。あの震災までは。そしてこれを書いている今、新型コロナウイルスの感染・拡大という状況にあって、ありふれた日常の大切さをより強く思っている。
ファンへの想いを語っていたが、バックで流れた楽曲『会いに行く』『君住む街へ』は、やはり名曲だ。そしてご当地紀行の作成風景などは、なかなか興味深くも面白く拝見。お客さんを喜ばせるにはどうしたらいいか、を常に考えているのだと思う。
ズバリ、引退について切り込んで聞くアナに対して、その答えは...。いかにも小田さんらしい。
歌い続けることについて、ある先輩から言われたという言葉を語る。
「音楽が好きだから」ということは各メディアでも話されているのだが、その想いは更に強くなっているようだ。
小田さんのようにキャリアのあるアーティストは、自分だけの想いで引退することは難しい気がする。ツアーやレコーディング等には非常に多くの人たちが関わっている。ある意味、その人たちの生活も背負っているのだと思う。みんなが納得したカタチでの『終わり方』はなかなか難しいテーマである。
シンガーとしての仕事はしなくなっても、他のアーティストへの楽曲提供ということは有り得るかもしれないとも思う。いや、是非そうしてもらいたい。
ラストに流れた新曲。シンプルでいい。
- この道をPR (小田和正)
※
一日一日を一生懸命に生きることは、言葉では簡単ですが実践ということになると非常に難しく思います。人生は後悔の連続だと私は思うのですが、それを理解しながらも前を向かなければならないとも思います。人生は有限なのですから。
※
翌週に放送された密着ドキュメントは見応えがあり、ライブを行うには非常に多くの人たちの協力があってこそということがよく分かりました。随所にアナとの対談を挟み込みながら、ツアー全体を俯瞰して見れた気がしました。このサイトでは書きませんが、2017年の「100年インタビュー 時は待ってくれない〜小田和正」も見応え充分。書籍化されています。
2016.3.22放送
「ドリームライブが福島にやってきた」
『ドリームライブが福島にやってきた~心をつなぐ世界のアーティスト』は、2016年3月22日にNHK総合で放送されました。2016年3月6日に福島県文化センターで行われたコンサートの模様を放送。
東北復興イベント
舞台MCは、グラミー賞2度受賞のジャズピアニスト、ボブ・ジェームスさん。大江千里さんをはじめ、八代亜紀さん今井美樹さん八神純子さんなど、様々なアーティストたちが集まった。
演奏前の打ち合わせで、楽曲の僅かなニュアンスを伝えていた小田さん、それに応えるようにピアノで弾きながら会話していたボブさん。プロの音楽家同士の触れ合いを観ることができてとても良かったです。
本番。ボブさんの「カズマサ・オダ!」の呼び込みの声。優しい声だ。バイオリンの金原千恵子さんと一緒に登場する小田さん。
頭から、バイオリンの音色が染みる。キーボードを弾きながら小田さんのハイトーンが響き渡る。本番前のリハーサル風景では、演奏曲についてボブさんと語り合っていた。
- 言葉にできない
小田さんの東北への想い。多感な学生時代を過ごした東北が、大震災という未曽有の災害に見舞われたことのショックは私には計り知れません。ここで小田さんは、
震災の後、ボブ・ジェームスさんは、日本の人たちが少しでも元気になるように大船渡を訪れ、地元のバンドとセッションして語り合って涙を流している姿を、僕はテレビで見ました。とても感激しました。
~「ドリームライブが福島にやってきた」での小田さんのコメント~
この言葉にグッときてしまった。参加を決めた要因の一つだろうと思う。私は、その時の映像を見てはいないのだが、ボブさんのあたたかさに心揺さぶられた気がした。
小田さんも、震災後に「さくらプロジェクト」へ継続して参加しています。一本一本、桜を植樹していくという試みなのだが、その趣旨に賛同してのこと。東北の皆さんに寄り添っており、今でも継続している。東北は小田さんの青春の地。そしてもう一曲。ボブさんの優しいピアノ。味のあるアレンジとピアノタッチ。途中でステージ下に降りて歌う小田さん。最後は、ステージ上でボブさんと肩を組んで一礼。ボブさんのメガネ越しの何とも言えない潤んでるような優しい瞳が私の心に焼き付いた。
- 今日も どこかでPR (小田和正)
人を元気づけることは難しいと思います。十人十色で人それぞれに支援の方法が違って当然です。小田さんは、『頑張って』でもない、『前を向いて』でもない、言葉の選び方。静かに寄り添う、遠くから見守る、復興を願う、そして『君が好き』と歌う。"君"とは、東北のみんなのことだと理解していますが、たった一文字の"君"というこの表現と言葉には小田さんの想いがギュッと詰まっている気がしてなりません。
それは『その日が来るまでPR』という楽曲を聴いての感想ですが、この楽曲の持つ溢れんばかりの言葉の数々とその優しさに涙。
演奏後に、記念すべきセッションだったと語った小田さん。こうしたカタチでのライブは初めてだったようだが、充分にその『想い』は会場のみなさんや画面越しの私に伝わってきたことを思い出した。
復興支援のカタチはさまざまにあると思う。大きく盛り上げるのもありだが、他の多くは、小さいことの積み重ねになっていくのだと感じている。継続することが大切で、忘れないこと、思いを馳せること、少しの経済的支援など、私達にも出来ることがたくさんあるのだと感じたライブだった。
最後の「I love you & I need you ふくしま」という曲。サンボ・マスターの東日本大震災チャリティーソングだが、当時強烈に惹きつけられた記憶がある。いまでも好きな楽曲の一つだ。
最後に、こうした復興イベントを主催してくれたボブ・ジェームスさん、ありがとう。
※
震災から10年以上が経過しました。未だ道半ばだと思います。みんなが同じ方向を向いて力を合わせていくしかないのだと、強く感じた番組でした。そして何よりも継続して行われているこのライブの意義と価値は、言葉では表わせないものがあるように感じます。
2016.12.31放送
「めざましテレビpresents・私と、めざましと、小田和正の11年~今日もどこかで~」
2016年12/31にBSフジで「めざましテレビpresents・私と、めざましと、小田和正の11年~今日もどこかで~」が放送されました。これまでの小田さんと「めざましテレビ」とのつながりを纏めた内容でした。
つながり...
これまで、2005、2008、2011、2014、2016年と小田さんにインタビューしてきたという「めざましテレビ」。
番組テーマ曲も2度ほど(今日もどこかで2008、会いに行く2018)提供している。初めてのインタビューのときに不快な思いもせずやりやすかったと話していた小田さん。
その後は、事あるごとに番組イベント等に参加しているのだ。
2019年3月の「めざましテレビ」25週年記念イベント「めざましライブ~日本お元気キャラバン~」。東京の両国国技館での最終日。サプライズで登場した小田さん。観客の驚きの様子が凄い。みんなで「会いに行くPR」を合唱。
小田さんの舞台裏の様子も。コーラスはLittle Glee Monsterのみなさんが担当。イベント終了後にゲスト全員に軽部アナがトークで進行。両手で"めざましテレビのキャラクターぬいぐるみ"を持ち、
楽しいひとときでした
~「めざましテレビ(3/29放送)での小田さんのコメント~
と笑顔。ライブでもそうだが、お客さんを楽しませると同時に、自分も楽しまなきゃという意識がものすごく高いといつも感じている。それが元気の源なのかもしれない。
2005年インタビュー
この年は、ツアー「大好きな君に」を行っていた小田さん。「めざましテレビ」初の小田さんへのインタビューは、6月の大阪城ホール敷地内で軽部アナと。緊張し疲労したという軽部アナ。当たり前だが二人とも若い。キーを下げて歌うことがあるのかについて・・・・
そうした時は考えなきゃいけない時だろうなと思うんだよね
~「私と、めざましと、小田和正の11年(12/31放送)での小田さんのコメント~
これは小田さんの信条かもしれない。プロ意識の高さ。聴く側の私も、オリジナルのキーで歌ってほしいと思うのだ。
そしてこの年に発売されたアルバム「そうかな」の話に。全11曲すべてがタイアップ曲であり、"タイアップ"について語る。また「言葉にできない」と「たしかなこと」との関係についても語る。このライブ終わりの挨拶で、笑顔を見せてくれたと語る軽部アナ。このインタビューが出発点だったのだと改めて再確認した。
2008年インタビュー
この年は、ツアー「今日もどこかで」を行っていた小田さん。そしてライブの中で、この曲と番組とのつながりや感謝の気持ちを語っていた。
6月の大阪城ホール内でのインタビューは、大塚範一アナ、軽部アナ、中野美奈子アナ、生野陽子アナの4人。一人ずつ質問。中でも小田さんより1つ年下の大塚アナ。来年還暦ゆえの人生相談的質問にも。それに対して真剣に考えアドバスをする姿は誠実さそのものだろう。
2008年は「めざましテレビ」が始まって15周年。12月のイベント「めざましクラシックス2008」に駆け付ける。小田さんと一緒に「今日もどこかで」を歌う軽部アナの表情が素敵だ。そして2009年3月で番組卒業となった中野アナ。その前の2月のイベント「元気のミナとも」にサプライズ登場する小田さん。花道を二人で歩きながら「今日もどこかで」を歌う光景が格好いい。気遣いの人、縁を大切にする人、それが小田さんだ。
2011年インタビュー
東日本大震災のあったこの年は、ツアー「どーもどーも その日が来るまで」を行っていた小田さん。番組のコーナーから誕生した映画「ロック~わんこの島~」。その主題曲「hello hello」を書き下ろした。7月の沖縄・宜野湾屋外劇場でのインタビューは、軽部アナ。
震災後ということで、この曲については「歌えないかな」と思ったという主旨のコメント。
やはり小田さんの学生時代を過ごした青春の地"東北"に向けた思いは深いのかもしれない。軽部アナと「ポルタメント」を使って歌っている個所について語る。しかし軽部さんも詳しい。会話が楽しそうだ。
2013年インタビュー
この年は、ツアー「その日が来るまで」を行っていた小田さん。2013年は「めざましテレビ」が始まって20周年。10月のイベント「めざましLIVE ISLAND TOUR FINAL in日本武道館」に出演。
ステージ上で、「めざましテレビ」との出逢いを語る小田さん。2005年の最初のインタビューについて。インタビュー前は嫌だっという。だが軽部アナが来て話をするうちに、気持ち良くなってきたとのコメント。たぶん馬が合うというか相性が良いのだと思う。
インタビュー開始直後はどことなく相手を窺う表情に見えた小田さんだが、徐々に笑いも出るようになっていたと思う。私の陳腐な言葉でいえば「気に入った」のだと思う。軽部アナの存在は大きい。
歌前の挨拶での小田さんの素晴らしいコメント。少々長くなるが引用させて頂く。
彼らを支える100人からのスタッフがいて、彼らよりも遅くまで準備をし、彼らより早く会社に来て準備をしたりしている、その人たちに支えられて20周年を迎えられたと思います。誠に僭越ではありますが、そのスタッフのみんなに拍手を送ってあげて下さい。
~「私と、めざましと、小田和正の11年(12/31放送)での小田さんのコメント~
小田さん自身も、ツアーを行うにあたり、とても多くの人たちに支えられてできていることを、強く理解されているからこその言葉だと思う。これはアーティストに限ったことではないと思う。みんな誰かに支えられているのだと改めて気づかされた言葉だった。情けないが私は涙した。
2014年インタビュー
この年は、ツアー「本日、小田日和」を行っていた小田さん。1月の東京体育館でのインタビューは、三宅正治アナ、軽部アナ、生野アナ、三上アナの4人。アルバム「小田日和」が発売されたこの年。一人ずつ好きな曲を挙げる。
話は変わるが、小田さんのライブでアンコールの際に、スタッフが集合して大合唱する定番曲が「YES-YES-YES」。このインタビュー前のライブで、4人が客席に交じりサプライズで合唱に加わったのだ。小田さんは花道を歩きながら、すぐに4人を見つけ指をさす。軽部アナは目をつむって悦に入った表情で歌う。後で小田さんに"軽部の表情がうける(笑)"と言われていた。2016年1月の東京体育館のライブでも客席で歌ったアナウンサー陣。
ここからの三宅アナと小田さんとの関わりの話がとてもいい。
他のアナウンサー陣は呼び捨てなのに、自分だけは"三宅くん"と言われていた。そして1月のライブ後に突然"三宅"と呼び捨てにされたという。そのことに感動したとのこと。三宅アナはオフコース時代から大ファンらしい。憧れの人から呼び捨てにされ、近くなった気がしたことだろう。しかし話はこれで終わりではない。三宅アナが喜んでいるという話を人づてに聞いた小田さんからメールが。"あの時は君との距離を縮めたくて、"三宅"と呼び捨てにすることを決めていた"という内容だったという。これを聞いて私はゾクゾクとしたのだ。何気ない言葉でも本当は考え抜いて発したという言葉。このエピソードは、これぞ小田和正さん。私の琴線に触れた。
2016年インタビュー
最初の事務所でのインタビューに戻る。
「御当地紀行」について質問する軽部アナと永島アナ。そして好みの女性について聞かれると、なかなか興味深い回答をする小田さん。このインタビューの中で、人とのつながりを語る小田さんが印象に残った。
オフコース時代は、どこか人を避けてきたから、ソロ以降は人と交わっていこうと思ったようだ。確かに、私の中でも昔は"孤高の人"というイメージが強かった。しかしここ20年くらいの小田さんは、曲作りなどではストイックな面もあると思うのだが、積極的に人との交流を持とうとしているように見受けられる。それは「クリスマスの約束」のスタート、「めざましテレビ」との関わりのスタートの時期だろう。人とのつながりを大切にし、そして今も走り続けているのだと思う。最後は「今日も どこかでPR」のライブでの大合唱で締め。10年ぶり2度目に依頼された楽曲は「会いに行く」。
- 会いに行くPR (小田和正)
2021.4.2放送
「みんなのうた 60スペシャル」
2021年はNHKの「みんなのうた」が開始されて60年目。その機会に「みんなのうた60」楽曲を作ってくれるよう小田さんに依頼されました。インタビュー映像のあった2つの番組ではいろんなお話が聞くことが出来ました。
2021.4.2 みんなのうたスペシャル
これまで、NHKの100年インタビューなどで聞き役を担当してきた阿部渉アナが、今回もインタビュアーとしてお話を聞くことに。場所は小田さんがいつも使っているスタジオ。
この曲作りが順調だったのかを尋ねる。
この企画のテーマとコロナへの想いを、どうやって楽曲に繋げていくかを話されていましたが、いろんな葛藤があったのだろうと推測させる話しぶりだ。当時は、「歌なんて、エンタメなんて」という風潮や世間の声が今よりも強かったと思う。そんな中での曲作りは大きな仕事だったのだと思う。「結構手強かった」と吐露する小田さんだが、テーマ性を持ちつつ作成に取り組む姿は素敵だし、小田さんの真骨頂のような気がする。
阿部アナがこの楽曲(こんど、君とPR)に込めた想いを聞くと、
苦労している人たちにはね、少しでも明るくしたいなという一点でしたね
~「みんなのうたスペシャル(4/2放送)での小田さんのコメント~
思慮深く高い完成度を追い求める小田さんだが、根っこにあるのは私達と同じ純な気持ちなのだと改めて痛感した。
最後に視聴者へのメッセージを語るのだが、そこには決して気負わず、いつもの心持ちでの小田さんらしい優しさの言葉で締めくくっていた。
2021.4.24 そして『みんなのうた』は生まれた~60年を彩った名曲秘話~『こんど、君と』
阿部アナがこの番組(みんなのうた)への印象を尋ねる。
あらゆる世代の人が知っている、こんなにも長く続いていることに驚いたという主旨を話されていたが、同感である。人それぞれ観ていた時代が違ったり、印象に残っている曲も違うとは思うが、それであっても、幼少期に観て聴いていたというある種の共有感がこの番組にはある気がする。
かつて(50年ほど前)、小田さんは「みんなのうた」に楽曲を提供したことがあるのだが、自信があったのにボツにされたという有名なトーク。楽曲は、1975年の「老人のつぶやきPR」。
とても好きな楽曲の一つです。
みんなのうたには、『死』というワードが入っているからか、少し暗いかなぁと思ったりしたこともあったが、聴けば聴くほど良い楽曲だと思う。20代でこうした老人からの視点で詞を書ける小田さんは凄い。ただ、メロディーは素晴らしく歌詞が違うモノだったらどうだっただろうか。昔からこの楽曲の存在自体は知っていて、結構私の好きな楽曲の上位にあるのだ。機会があれば是非一度は聴いてみてもらいたい。
今回のみんなのうたへの楽曲提供で、50年の時を経て完結したと話されていた...。
コロナに対する想いを聞かれ、
人と会うのが、どれほど大事なものだったのかを思い知らされましたね
~「そして『みんなのうた』は生まれた~60年を彩った名曲秘話~『こんど、君と』(4/24放送)での
小田さんのコメント~
作成風景やレコーディング風景の映像は、普段の光景のままだ(マスクは付けているが)。
コロナは人の生活を一変させ、それは今でも続いている。いつになったら元のように暮らせるだろうと、みんなが思っているだろう。よく「人は一人では生きていけない」と言われるが、家の中での時間が増え、会話も必要最小限になるとやはり活力が低下してくることを実感している。
追記①
2022.03.05にEテレで放送された「みんなのうた60フィナーレ」では、この番組への想いとこれから期待すること、視聴者へのメッセージなどを語っていました。
追記②
5人のオフコースから、鈴木康博さんが脱退し4人での活動を開始したのが1983年。脱退の経緯は当時の私には分からず、残念とともに悔しい感情が支配していたと思います。しかしファンであれば、その経緯はどうであれ応援してれば良いのだとも感じていました。ただ、「どうして」という疑問は常に私の頭にあったと思います。
ご本人が映像メディア(TV)で語った言葉を思い返してみたいと思います。2017.7.16放送の『湘南音楽堂~素晴らしき音楽仲間~』に鈴木康博さんが出演された際、脱退についての質問への答えは、
・・・(中略)・・・そういう中で、『小田和正色』がどんどん強くなってくので、なかなか自分の曲が書けなくなってくるんですよね。で、自分を見失うというか・・・(中略)・・・
~「湘南音楽堂~素晴らしき音楽仲間~(2017.7.16放送:TVK)」での鈴木さんのコメント~
と語っておられました。もっと長く誠実にお話して下さっていますが、最後の方では、『オフコースとしてはやりきった』云々の言葉を聞いて、これはこれで良かったのだと今は私自身納得しています。ソロになってからもヒット曲を何曲も書かれていて、その活躍は私の胸にきちんと届いていました。今もそうですが。オフコース時代の彼の楽曲を改めて聴き返してみましたが、ホントいい曲が多いです。
また、2017.8.13放送の『100年インタビュー』に小田さんが出演された際、鈴木さんの脱退についての質問への答えは、
・・・(中略)・・・そりゃあ、もう大きかったどころか、あっ、これで俺は辞めるんだなと思ったのね、ヤス(鈴木さん)がいなくなって音楽が出来るというイメージがなかったからね、これで終わりだと...
~「100年インタビュー(2017.8.13放送:NHK)」での鈴木さんのコメント~
言葉を選びながらも真剣に考えて語る小田さん。解散についても、『何か無念な感じ』という言葉云々を聴いて、小田さんも仰っていたけどバンド活動自体が青春そのものだったのだと感じました。ソロ以降の活躍はここで語る必要のないほど周知の事実ですが、バンドでの経験があったればこそ、その後の活躍ぶりを支えているのかもしれません。
カメラの前で話すのだから、多少なりとも抑えめな感じで語ったのかもしれませんが、お二人のそれぞれの想いが伝わってきたように思います。長いお話しの中の一部分を引用させてもらいましたが、こういう場合に怖いのは一部分だけを切り取って自分なりのストーリーを作り上げてしまうこと。ですから、何度も観直してこれが本当にお二人の本意(本質)を表しているかどうかを、自問自答しながら書いています。
一ファンとしては、"もう一度同じステージで"という気持ちも勿論ありますが、このままでもいいのかもなと思ったりもします。今後もお二人の活躍を静かに見守っていきたいと思っています。
- こんど、君とPR (小田和正)